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第二百十五回: 好きで好きでそれでも好きで

 私くらいの年になると日常生活を彩っている楽しみは、削ぎ落して残っているものだ。余程のことがないと「辞める」とか「諦める」に至らないと思う。それすら時に投げ出したかったり、逃げ出したい時もあった。けれど実際に行動へ移らなかったのは何故だろう。早起きだったり、体を動かしたり、家内に教わりながら家事を少しずつこなしたり、地元の寺社をお参りしたり…趣味らしいものが限られているので、コラムを書いたり、授業用の資料を作るのも楽しみの一つではある。
 桂古流を続けて下さっている皆様はどのような思いでお稽古して下さっているのだろう。ふと気になることがある。皆様の中にある情熱、希望、夢、それらの正体とは何なのか。色々想像してしまう。想像するが「好き」という事に帰結すると思う。いけばなが好き、桂古流が好き、教室が好き、その好きという純粋な偽りない心と、負の(辞めたくなるような)原因を天秤に掛けて「好き」が優っていたから、皆様の中でいけばなの占める割合が大きく育って下さったのだと思う。

 少し話題が離れる。人のために尽くす大事な素晴らしい職業に就かれた人がいる。寝る間を惜しんで我が身を振り返らず他人を救命することに人生を捧げていた。その仕事に誇りもあったろう。遣り甲斐も達成感も味わっただろう。しかし彼はある日突然、その仕事から離れてしまった。理由は定かでない。激務から精神的に追い詰められていたのかも知れないし、助けられなかった命から自らを無力だと嘆いたのかも知れない。私には彼の心を想像するには余りに無知過ぎる。今、彼は全く別の分野で大成功を収め、後進の指導にもあたっている。それはそれで素晴らしい。

 彼に比べれば、私など親がお膳立てしてくれた世界で、のうのうと生きてきた。枝が長いか短いか、花の傾きや分量などに気を配る事を生業としてきた。幸せな職に就けたなと実感する。では苦しい時がなかったかと尋ねられれば、それなりに大変だったかなと振り返る。大変でもいけばなが「好きで好きで」続けてきた。
 好きという気持ちは主観なので、自分が一番と思える。自身より上手な人がいても「私の方が好きなのだから努力しよう。追い付いてしまおう」と妬む前に前向きになれる。その人の芸を盗めば良い。通うのが辛ければ休めば良い。好きな事を続ける極意は「逃げ道を」作っておくことだ。100%出来なくても良い、70%の時、50%の時も立派だと褒めてあげれば良い。好きな事と無関係にならない方策は必ずある。何よりもかけがえのない貴方が生きていて、貴方が元気で、いけばなを、そして桂古流を「好きで好きでそれでも好きで」いてくれる事が一番大事な事だと思う。映画アンタッチャブルでショーンコネリーが「毎日生きて無事に家に帰ること」と警察官の心得を語る。
 芸の核は「好き」だ。芸だけでなく、仕事もプライベートも全て「好き」でなくては始まらない。

 この原稿は数年前、入院した時に書いたものだ。当時、する事もなく病室にいると、頭はいけばなに向かってしまう。書いている紙は看護師さんにお願いして頂いた。看護師さんは点滴を調整し、投薬を運んでくれ、体温血圧を測定し、ナースコールの病室に駆けつけ患者の要望に応え、ケアユニット内の全員のデータをパソコンに打ち込んでいる。
 ふと気になりこの職業好きですかと尋ねてみた。微笑みながら「はい」と応えた。

 

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