桂古流について

一、京都から佐渡へ

桂古流の歴史は江戸時代、京都の桂宮家に祗候(しこう)していた花務職に始まります。花務職とは公家・大名の邸宅や寺社に出向き、定期的にいけばなを飾ることを生業とする職業を指します。桂宮家は天正17 年(1589)年に正親町天皇皇孫・八条宮(桂宮)智仁(としひと)親王によって開かれた世襲親王家で、明治時代まで存続しました。
初代智仁親王は和歌や連歌に堪能な学問文芸に秀でた親王で、2 代智忠親王とともに家領の桂に造営した別荘・桂別業こと桂離宮は日本最高の庭園として知られています。また、ふだん桂宮家の方々が居住し、日常的に花を飾っていた本邸は京都御所北側かつ近衛邸東側、現在の京都御苑最北端に位置し、庭園が公開されています。本邸は現在の二条城本丸御殿に移築されています。桂古流の花はこうした風雅な宮中の環境で育まれて発達してゆきました。

さて、江戸時代末期、桂宮家に仕えていた花務職・養真斎白龍(本名・藤原吉宣)もそのひとりで、投入(なげいれ)や立花とともに江戸時代中期に成立した生花を深く探究し、桂古流独自の立活(たちいけ)を確立、奥義を極めます。しかしながら、幕末の京都は次第に戦火に包まれ、慶応3年(1867)9月、白龍は已むを得ず当時の桂宮家当主・桂宮淑子内親王に願い出て職を辞することとなりました。その際、一流を興す際には「桂」の一字を使ってよいとのお許しと桂宮家所縁の品々を下賜されました。

京都を離れた白龍は遠く佐渡島へ旅立ちます。白龍は佐渡で相川の廣源寺に住して2代家元となる真寿軒白鶴(本名・鈴木惣治)ら後進の育成に努めつつ、華道三昧の余生を送りました。佐渡では白鶴を中心として、京都から伝えられた桂古流の花道をより一層発展させてゆきました。

二、佐渡から浦和へ

そんな白鶴の愛弟子のひとりであった3 代目家元、溟鼓庵華叟(本名・池与作)は明治30年(1897)、より多くの人々に花道を伝授し、その技を精進すべく佐渡を出奔します。途中、群馬県沼田市、埼玉県熊谷市などに滞在しつつ、ついに埼玉県の浦和に至り、新たな本拠地とすることに決めます。華叟が浦和を選んだのは、宿場町から発展した浦和は商業や文化の栄えていた土地だったとことに加え、調神社が鎮座していたことも関係しています。調神社(つきじんじゃ)は中世以来月待信仰が行われた場でありますが、古代中国では月に巨大な桂の木が生えているとされ、それが京都の桂や桂宮家の由来にもなっていることから、華叟は浦和に何か運命的なものを感じ、ここを桂古流家元永住の地としました。

華叟は立活の名手として聞こえ、特に葉蘭を活けさせては古今無双とされ、100 枚以上の葉蘭を僅か40 分ほどで見事に活け上げて周囲を圧倒し、多くの門弟を集めます。「大日本華道家大番附 大正三年見立鏡」には東の大関として名を連ねるなど、すでにその力量は広く知られていました。そうしたなかで作品集『桂通信』の発行、明治41 年(1908)に桂古流展の開催など、精力的に活動しました。
大正15年(1926)7月、華叟が歿すると、娘の溟鼓庵華美枝(本名・池美枝子)が4世家元を継承しました。

溟鼓庵華叟

三世 溟鼓庵華叟

溟鼓庵華美枝

四世 溟鼓庵華美枝

三世家元と門弟たち

三世家元と門弟たち

三、浦和での展開

昭和5年(1930)、先代門弟最古参の汲古庵華甫(本名・星野長吉)が5世家元となります。華甫は芸には厳しいながらも、円満な人格の持ち主と伝わります。多くの門弟に慕われていましたが、疎開先の茨城県土浦にて昭和20年(1945)5月、死去。
家元夫人・星野岸と幹部門弟の度重なる協議の末、満場一致にて初代汲雪庵華盛(本名・新藤盛三)が6世家元に就任。力強い立活の圧倒的技倆は全国的に知られ、桂古流も大きく成長しました。技術の向上は無論、桂古流を新藤花道学院として財団法人化するなど、組織としての近代化にも尽力しました。昭和49年(1974)5月には帝国ホテル孔雀の間にて家元継承30周年パーティーを開催。その稀代の作品は『華盛の生花』(主婦の友社、昭和58年)にまとめられました。

平成4年(1992)5月、初代華盛は7 世家元・汲雪庵華慶(本名・新藤義男)に譲位。帝国ホテル孔雀の間にて家元継承披露パーティーを開催。華慶は優美な作風で知られ、埼玉県いけばな連合会理事長を務めたほか、フラワーアレンジメント講座やホームページの導入など平成を通じて流派の新たな在り方を模索しました。平成20年(2008)5月、病歿。同年、華慶の妻・汲雪庵三枝が華慶の歿後数ヶ月、8世家元でありました。
同年秋、当代9世家元・汲雪庵華浩(当時。本名・新藤浩司)が家元となりました。フレグランスフラワーの発案や災害被災者の方へのいけばなを通じた支援、花育活動に尽力。そして、家元継承10周年と桂古流創流150周年を記念し、敬愛する6世家元の名跡を継ぎ、二代目華盛を襲名しました。それ以降もオンライン講座・試験の導入や海外支部の設立、新たな立活の表現の模索などを展開しています。
現在、埼玉県いけばな連合会理事長、さいたま市いけば芸術協会会長、日本いけばな芸術協会理事、いけばな協会理事等を務めています。

汲古庵華甫

五世 汲古庵華甫

初代汲雪庵華盛

六世 初代汲雪庵華盛

汲雪庵華慶/汲雪庵三枝

七世 汲雪庵華慶
八世 汲雪庵三枝

汲雪庵華盛

九世(当代)
二代目 汲雪庵華盛

桂古流の型・表現

  • - 盛花 -

    盛花

    明治時代中期に誕生した、水盤や鉢、籠などに剣山や七宝を使って盛るように花を活ける活け方です。現在最も一般的な様式と言えます。

  • - 投入 -

    投入

    形式にとらわれることなく、花留などもあまり使わずに壺や花瓶、籠に自然の植物の姿をそのまま活かして挿す花形になります。

  • - 自由花 -

    自由花

    大正期以降に発達したいけばなの様式で、特定の形式から離れ、植物の色や形に注目して自由に空間上に造形芸術を試みる作品になります。

  • - 立活 -

    立活

    江戸時代中期に誕生した花形で、格花や生花(せいか)とも呼ばれます。桂古流の代表的な形式で、草花や枝を使って天地人三才格などを表現します。

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