第二百十回: やりたいように
京子の祖父、角田健三はとても魅力的な人物だった。色々な話をしてくれた。漢学者で國學院の教員でもあった。有益な話と共に、昔の楽しい話題も多かった。そのうちのエピソードを一つ紹介する。二学期の初め、先生から「最近何の本を読んでいるか」と尋ねられた健三少年は「ハッ万葉集を読んでおります」と応えた。すると、先生が「何が万葉集の研究だ」と茶化した。教室中の子供がワッと一斉に笑い、以後あだ名が『万葉』になってしまった。よほど辛かったらしく「その悔しさは今でも忘れません」と話してくれたのが、健三翁92歳の時だった。当時の先生も、余計な一言で85年も恨まれるとは思いもしなかったろう。振り返って私の経験だが、今になって考えると納得できない規則があった。半世紀前、小学校に「花のグループ」というのが存在した。名前は可愛いが、要は子供にダイエットさせようという、小学校のシェイプアップカリキュラムだった。クラスから2~3人出されて、そのグループに入れられる。私も入れられた。給食のパンは2枚のうち1枚しか食べてはいけないとか、給食の後は校庭2周走らされたりした。そのグループに入れられた事を恥じた母親が、私がお花屋さんでお菓子を食べていると目を吊り上げて「ヒロシに餌を与えないで下さい!」と怒鳴っていたのを思い出す。50年前に小学校がBMI計算をしたとは思えず、教師の主観でグループに入れるか選別したようだ。今やったら問題になる可能性もある。
この2つに共通するのは「大きなお世話だ」という事だと思う。健三少年が一生懸命読んでいるならば、小学生でも認めてあげれば良かった。先生が「それはすごいな。これからも頑張りなさい」と励ませばこんなに長期間に渡り、謗られずに済んだ。ただし、悔しさをバネに角田氏が漢学者になることもなかったかもしれない。私の花のグループも学校が関わる内容ではない。その後、思春期になったら皆スリムになってしまった。私は30代から太り始めたが50代で高校の時の体型に戻った。50代になると胃弱になり食べたい物も入らなくなった。食べ物の恨みは恐ろしいというが、子供の時にもっと食べたかったなと未だに思う。
好きなように、やりたいように、やってみる事も大事だと思う。明らかに困っていたり、相談を持ち掛けられた時に役立つのがいけばなの先生だと考える。祖父の私に対する口調は「いいぞ、いいぞ、もっとやれ」だった。良い事をしている時は勿論、運動も、悪戯も目を細めていた祖父の記憶しかない。勿論それだけでは人は育たないが、認めてくれる肉親が側にいると、さらに認めてもらおうと努力する。自身で思い付いた事は他人から習う何百倍も価値がある。自身の力でやりたい事をやれる所までやってみると納得できる。失敗しても諦めが付く。誰かのお仕着せでなく、自身の力で得た物は一生の宝物になる。
桂古流のいけばなの魅力は、基礎をしっかり身に付けながら、自身のやりたい事を自由に表現できる環境にあると思う。そこで生まれた作品も魅力的だ。サイズ、色、素材、形状、流行など様々な要素から自身のやりたい事を見付けるのが重要だ。学ぶのではなく探していく。生徒様を構いすぎず、聞きづらい雰囲気でもなく見守るのが大事になる。分かっていながらこれが一番難しい。
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