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第二百回:  作業場

 人それぞれ作業場がある。即ち仕事に打ち込む場を持っている。俳優さんは稽古場だし音楽家はスタジオ、スポーツ選手は練習場、シェフは厨房、陶芸家は窯元とそれぞれのプロフェッショナルが作業場を持つ。仕事が決まってから試行錯誤を繰り返し、直前であっても工夫する場でもある。企画会議や大型プロジェクトの前に熟考するオフィスもひとつの作業場だと思う。

 作業場では素の姿が垣間見える。堂々としている人でも普通の人なのだと安心する。1987年、私は雑誌社の写真部でアルバイトをしていた。料理写真の撮影がメインの仕事だった。現場には料理研究家、コーディネーター、編集者が中心メンバーで特集の料理を撮影していく。このメンバーはじゃんけんのような関係でページを作り上げていく。料理人は写真が取れない、コーディネーターは料理がないとお皿や敷物がないと決まらない。カメラマンは被写体がなくては撮影できない。編集者は画像がなければ雑誌の校正が進まない。皆それぞれの分野から離れると、とても謙虚だった。合作の作業場はお互いを認め合い、褒め合い、助け合った。その後カメラマンは暗室という独りの作業場に行く。

 白龍の伴侶、潤子は作業するのが早い。倉庫に荷物を運ぶ時、教室の花器を移動する時に、すぐ動いてくれる。美大は男子が少なく女子でも力仕事しなくてはならなかったそうだ。そのせいか作業場みたいな所に興味を持ってくれる。家元という職業に相応しい人が嫁いでくれたと思う。

 身体を動かさない作業でも場は必要になる。舞台演出家が小机とえんぴつで脚本や台本を仕上げるエピソードがある。その時は下宿の隅であったり稽古場の畳の上が作業場となるのだろう。誰かの言葉で「名作は夜中のキッチンで生まれる」という一文が忘れられない。普段の生活空間も大事な作業場だ。

 祖母が好きだった麺は、製麺所直売所だった。小売りは知り合いのみで殆どはラーメン店などに運ばれた。製麺所に行くと小麦の香りがしていた。それだけで美味しそうだった。午前中の早い時間に操業するのだろう。私が買いに行く頃は作業所の機械は全て止まっていた。しかし先程まで動いていた熱気というか残圧が感じられた。どんなリズムで原料が麺になっていくのか、また麺がどのようにプロの拉麺になるのか。想像するのも楽しかった。

 いけばなの教場は作業場である。整理整頓を心掛けながら華美に飾る必要はない。ノートの何も書いてないページのように、これから始まる制作をかきたてる「無」こそが求められる。これから何かが始まる作業場の緊張感は、私達に想像力と花材とのスリリングな駆け引きを与えてくれる。

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