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第二百十四回: 立活けの作者

 賭け事に興味も素質もないのでやらない。証券取引はじめFXもNISAもやらない。パチンコ、花札、麻雀、カジノ、ゲームもできないし、やらない。父から「お前はバカだから」と見下された。白龍は「そういう物に手を出すのではないと、たしなめる意味だったのでは」と慰める。私はそうは思わない。先代華慶は皆様には優しく聖人君子のように思われている。プライベートでは「ちびまる子ちゃん」の父親のようにヘラッとバカにするようなところがあった。私自身はバカで結構、いけばなを生業に生きていきますと…口には出さなかったが腹の中で思った。

 日曜日の夕方、ジムでランニングマシンに乗る。マシンの前に付いているテレビで競馬番組を放送している。
 ランニングしながら実況中継を見るのが好きだ。賭けていないので、純粋にレースを楽しむことができる。春から夏には重賞レースが行われる。その中でも東京優駿(ダービー)は特別なのだろう。3歳サラブレッドのみが出走できるレースで、2025年は7950頭の頂点となる。勝ち馬に騎乗した騎手がインタビューに応えていた。アナウンサーが「これでダービージョッキーの仲間入りですね」と話すと「ダービーを制したのは馬ですので」とやんわり遠慮した。彼の大人になった対応に、それまでのやんちゃなエピソードより成長された印象を受けた。私は競馬を見ている時、ジョッキーを見るより馬をながめている。疾走している脚の動き、馬体の輝き、風を切るたてがみ、美しいなあ早いなあと、ボーっと見ているうちに終わってしまう。優れたジョッキーほど、彼等自身の姿は目立たない。馬が自然に走っている様に映る。

 お料理も優れた料理人ほど素材を活かしている。魚なら魚、野菜なら野菜を味覚から感じる。素材を食べている実感が伝わってくる。シンプルでいながら深い味わいを楽しんでいるうちに、お皿が綺麗になってしまう。料理に夢中になっている間、作り手のことを思い出すことはない。

 美しい花器も、切れ味の良い鋏も、今書いている万年筆も、作り手は出しゃばらない。職人はひたすら良い物、完成度の高い物を作ろうとする。個性が必要以上に前面に出くることはない。
 古典花は個をどこまで消せるかが鍵となる。自身を理想型に近付ける時、ためらいや憐みが邪魔をする。生徒様の作品を拝見する時、「この枝は」と伝えると「あ、やはり」と応える方が多い。皆様分かっておいでなのだ。ただ「切れない感情」が邪魔をしたに過ぎない。どうして切ってしまったの、とかこの花は可哀そうで残そうか、とか迷われた部分は、こちらにも伝わる。分かってらっしゃる、でも切れない。それは個が勝ってしまっているからだ。個を消すと花材がどうすれば整うか、さらに場に収まるか、観客が何を求めているか。スッと浮かび上がってくる。花材に無理をさせずに、枝筋が自然に見える事のみに集中すれば良い。

 祖父、初代華盛の名が一気に全国区になったのは、日本いけばな芸術展をはじめ、他流派と共に展示される機会が増えてからだ。祖父の揺るぎない立活けは見る者を圧倒した。特に金(えに)雀(し)枝(だ)の立活けは有名で地方を訪れた時、土地の先生が「あ、あの…」と新藤の名前が出ず咄嗟に「金雀枝の先生!」を呼ばれたのが、とても嬉しっかったらしく何度も私に話した。私が研究会の度に話すので桂古流では有名なエピソードである。
 祖父にとって金雀枝は息の合った重賞馬であり、祖父自身は馬を気持ち良く走らせた騎手に似た気分だったかもしれない。

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