第二百十一回: 写真のフィルム
何度も何度も書いているが、私が真面目に写真を始めたのは、日大芸術学部写真学科に入ってからだ。真面目にと言いながら、周りの同級生に付いて行くのに必死だった。生まれた時からカメラに囲まれている写真家や写真館の息子とは生まれた環境から違った。親の勧めもあったが、高校の仲間が選ばない進路だ。目を瞑るようにして慣れない世界に飛び込んだ。その僅か数年後に伊勢丹という大学とは違う世界に身を置くことになる。ピンボールのようにあっちこっちに行きながら、24歳から花道家元の後継者となるべく本格的に稽古と仕事が始まった。その間に身に付いた知識や仲間、組織は今でも自分の中で息づいている。
さて、今回は昔の写真について書く。
スマートフォンで簡単に撮影、加工ができるようになって多くの人が写真を楽しめるようになった。その一方で印刷やインク、アナログのカメラは衰退を余儀なくされた。私達がフィルムから手作業で写真を完成させた最後の世代かもしれない。データ加工される画像との違いは「手間」だろう。とてつもない手間の先にある微々たる違いが今となっては懐かしい。立活けの繊細な技術に似ている。
フィルムカメラの撮影と写真について、このコラムをお読みの方がどこまで興味を持って頂けるか心もとない。あと数十年、いや既に忘れ始められている技術や手順を思い出しながら記してみる。
アナログカメラは写真機の裏蓋を開けて、フィルムを入れて撮影した。フィルムはスプールの溝に引っ掛けて軽く巻く。蓋を閉じてから空シャッターを切り2回くらい巻くと、感光していない部分が出てくる。通常のカメラは35㎜と言われた。24枚撮りか36枚撮りがあった。カメラの最上級ブランドはライカ、国内ではキャノンだろう。中判カメラの最上級ブランドはハッセルブラッド、国内はマミヤか。フィルムサイズはブロニー判と言う。6cm×6cmか6cm×7cmになる。大判はリンホフテクニカかジナーになり国内はフジノンが有名だ。フィルムは4インチ×5インチで一枚ずつセットする。普通のスナップやスポーツ中継、報道などは35㎜で撮影する。広告写真やモデルなどは中判カメラ、建築や山岳写真は大判カメラとプロでも撮影分野で使用するカメラが違う。
フィルムはモノクロ(モノクロームの事。白黒又はBWとも言う)か、リバーサルを使用した。ネガカラーはあまり使わなかった。リバーサルは通常スライドと呼ばれる。コダックのコダクロームかエクタクローム、フジフィルムのフジクロームを使用した。フジをコダックと同等のレベルまで引き上げた功績者の一人は石井鐵太氏だ。モノクロはコダックのトライXかプラスXを使用した。トライXがASA(ISO)400でプラスXが100だったと思う。写真はレンズから入る光の量と露光時間、フィルムの種類によって仕上がりは変わる。
決定的瞬間を収めたいならば、たくさん光を必要とする。F(露出)を2や2.8にすれば1/500秒とか1/1000秒で綺麗に写る。しかし被写体深度は浅くなりピントは合わせづらくなる。それを調整する方法としてフィルムはISO表示の大きい物を使う。夜のコンサートやスポーツは現代ほど明るくなかったから、ISO1600を使ったりした。粒子が荒くなるが、プロがピントをしっかり合わせて撮れば、迫力あるライブ感が伝わってきた。おおくぼひさこがライブハウスでRCサクセションを撮った写真などがこの部類に入る。
夜間綺麗に撮影するならば、長時間露光すると暗くても階調の美しい写真になる。恩師の原直久氏の8インチ×10インチの超大判フィルムで撮影したプラチナプリントの中には長時間露光で撮影した夜景の写真がある。
撮影が終わると現像である。
リバーサルフィルムはラボ(現像所)に電話すると取りに来てくれた。日本発色やイーストウエスト、堀内カラー、クリエイト、ローヤルカラーなどがあった。
モノクロはフィルムを現像し更に印画紙へ投影して写真が出来上がる。カメラは鏡で実像を写すのでフィルムには左右反転した像が現れる。
すみません。ここから暗室作業のお話になります。もうしばらくお付き合いください。
暗室作業、通称ダークルームテクニック(変な事を想像してはいけません)。写真学科には撮影が得意な人と暗室作業が得意な人がいた。野球で言えば打撃が得意な人と守備が得意な人に分れるようなイメージだ。印画紙の現像は印画紙が感光しないような特殊ライトの下で作業ができたが、フィルムは完全暗室だった。薬品も色々あったが一般に使用された方法は次の通りである。まず現像液はⅮ-76だった。白い粉の中にきらきら光る細かな結晶が見えた。単位がリットルでなくガロンだった記憶がある。これを希釈して20度にし、保存ボトルに移した。フィルムはタンクに入れて撹拌(かき混ぜる事)しながら現像した。タンクの中にリールというフィルムを巻く金具があり、まずはそこにセッティングする。セットの仕方は渦巻き状にフィルムを巻いていくのだ。この時フィルムがお互いくっつかないように注意する。万一付いてしまうと、現像液が浸らないで像が現れず空白になってしまう。トライXで7分半と習ったがコダックでは8分を推奨していた。その間気泡が付かないように撹拌を繰り返したり、底の部分を軽く叩いたりした。現像液はアルカリ性なので時間になったら酸性の停止液を注入する。通常酢酸液を使用する。最後に余分な銀を落とす定着液を入れる。そして水洗し乾燥機にぶら下げる。乾いたら6コマずつ切ってケースにしまい、終了となる。
印画紙はRCペーパーならばフジの箱入りの6切を使った。大量に使うので箱買いしていたと思う。通常の課題提出はRCだった。特別な時はバライタ紙にした。オリエンタルかイルフォードを使っていたように思う。乾燥させると印画紙がクルクル丸まるので糊貼りしないと、どうにもならなかった。バライタ紙はRCにはない深みとか温かさが感じられた。
30歳くらいまでは現像していたと思うがそれでも30年前の話になってしまう。現在の画像加工や編集作業は手間がかからず気軽に素敵な写真や映像が楽しめるようになった。しかし手作業の苦労や失敗を繰り返しながら上達する喜び、先輩に対する憧れや敬虔な気持ちを持てるかというと、残念ながら失われてしまったと感じる。
私の好きだった写真の世界は、2度と戻ることのできない楽園のような存在に近付いている。
(今回は大学の同級生だった西島さんにお世話になりました。謹んでお礼申し上げます。)
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