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第二百十二回: 夏を迎える喜び

 6月、梅雨のうっとうしい時期に日本は入る。秋、冬、春は憂鬱に感じる。しかし梅雨そのものになると、私は早くも夏の始まりにワクワクしてしまう。「さあ、始まるよ」という喜びに包まれる。

 楽しい事は始まるまでの時間が一番幸せだ。海外旅行も一番楽しいのは成田の免税店だし、ありのまま言ってしまえば空港で車を預け、ビールを飲む時だ。 夏休みも1学期の終業式の日が一番嬉しい。通知表の成績が悪くても、校長の話が退屈でも頭の中はパラダイスだ。さあ、今年の夏は何かが起きるだろう--と先を見越すことで興奮した。

 40年近く前、プリンセスプリンセスが「世界で一番暑い夏」という曲を発表した。楽曲そのものが好きなのだが、イントロのベースギターがドッドッドッドッド・・・という部分は、夏を待ち望んでいる人々の鼓動に聞こえる。楽しい事が沢山やってくる予感につながる。すごい事が起きるかも知れない、とびきりの出会いが待っているかも知れない。(実際そんな事は起こらない)その「かも知れない」が夏なのだ。

 極論、何も起きなくて良いのである。高校生の頃は、夏期講座と宿題と、友達と映画みて西瓜食べたくらいの思い出のみだった。その位で十分なのである。「かも知れない」は実現しないで良い。実現しない方が良い。吉田拓郎の「夏休み」も、爆風スランプの「リゾラバ」も、結局何も起きやしない。私の青春の夏休みは「退屈」だった。

 6月になると、燕が巣に一生懸命エサを届け始める。巣を作らせてもらえる家も減り、燕も巣作りの場所探しが大変そうである。彼等が紫陽花の側を飛ぶ姿を葛飾北斎が描き残している。燕と紫陽花、両者との日本人との付き合いは数百年に遡る。竹取物語にも燕の巣が出てくるし、紫陽花は万葉集にも歌がある。現代でも他所様の庭のアジサイが美しい。雨の散歩を楽しませてくれる。白い花が薄い水色になり徐々に濃くなっていく。酸性だと青、アルカリ性だと赤紫になると一般に言われているが、同じ敷地に様々な表情のアジサイが咲いているのはどういう事なのだろう。「ハイドランジア」とも言われる「アジサイ」は、やはり水を連想させるのだろうか。「ハイドロ」はギリシア語に由来する接頭辞で、水または水分を意味するとされる。水素のhydrogenと語源は同じである。ハイドランジアのHはH₂OのHね、と言うと高校華道部では「ああ」という反応が返ってくる。「アジサイ」はかつてユキノシタ科であったが、1980年頃よりアジサイ科となった。植物の分類は分子系統学などが取り入れられ、かつての科とは遠い種であることが判明するなど増えてきた。習いたての頃に覚えた私の知識はアップデートしなくてはならない。

 蓮の葉も美しい緑の葉が広がり始める。蓮の花の美しさは、緑の葉あってこそと感じる。夏の朝を彩る花はまだまだ伸びていないが、葉の美しさがすでに準備を始め、人の目に止まり始めるのもこの季節だ。新玉葱を見る頃にアリアムが最盛期を迎える。両方ともネギ亜科ヒガンバナ科の植物である。春に可隣な花を咲かせたミズバショウも、その名の如く大きな葉を湿地に立ち上がらせる。

 白く芳香を放つ花を咲かせるのは秦山木、栀子(くちなし)、大山蓮花だろうか。梔子はアカネ科だが泰山木と大山蓮花はモクレン科だ。泰山木は、夜歩いていて頭の上からシャワーのように馨しい風が舞い降りる。大山蓮花は茶花にも用いられる。 近年NHK大河ドラマの茶道、華道指導を担当している井関宗脩氏は私の陰陽五行の師であり、流儀花の重要性を説いてくれた恩人である。井関氏の茶会の準備の際、誤って私が大山蓮花の花を折ってしまい、氏が、ひどく落胆されたのを今も思い出す。梔子は香も良いが桂古流の方なら先代華慶の十八番「くちなしの花」を思い出す方も多いと思う。「梔子の白い花 お前のような花だった」。父は誰を思って歌っていたのだろう。

 薄や葦、萱などがグイグイ伸び始め、雨上がりに青い草熱れがする原っぱの側に佇む。成長している瞬間を感じながら今年もこの時期が来たと、喜びと共に実感する。「かも知れない」を期待した若い頃を思い出して。

 

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