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第百九十六回: 財国法人を考える

 昭和28年9月28日。新藤盛三は埼玉県より新藤花道学院を財団法人として認可された。祖父が財団法人というものをどこまで理解していたか分からない。父、華慶も私も法律に詳しい訳ではない。何だか分からないけれど普通の華道教室よりはハクが付くぐらいの考えだったのでないか。聞いた話では、華道部指導者として招聘された裁縫学校が法人化したので祖父に勧めたらしい。さらに付き合いのあった新聞社が「今、埼玉県は財団法人が少なくて募集しています。認可を申請した方が良いですよ」という、現代ではあり得ない情報をとってきて祖父に持ちかけた。世の中、運というものは確かに存在可する。祖父、先代華盛が財団法人認可を申請していなかったら、いけばなでここまで安定した学院運営はできていない。私が子供の頃にはすでに生徒様たちは綴りの冊子を持って月謝を払いにきた。綴りは切り取り線が入っていて生徒様には領収書が残り、切り取られた紙片は教室で納入書として残るようにした。生徒様のお稽古カードにも領収印が押印された。生真面目な華慶が考案したシステムだ。現金授受の場合にトラブルは気まずい。華慶はそのトラブルを、いやそれに伴い評判が下がることを極端に嫌った。生徒様は相変わらずお嬢様が多かったので鷹揚な方ばかりだったが、父はそこに甘えなかった。生徒様と学院だけでなく財団法人という認可を受け所轄監督となった埼玉県からの信頼も得ることに努力した。祖父、父共に恐れていたのは、財団法人が解散となれば法人の財産は同じ業種の財団に引き継がれてしまうことだった。また法人財産なのに現金でなく土地を基本財産に組み入れている点だった。

 ありがたいことに、財団法人新藤花道学院は安定的に成長し、理事長が祖父から父に引き継がれても堅調に運営されてきた。バブル崩壊後に日本の経済成長が止まり、自分のことは自分で守る時代がやってきた。銀行や証券会社の倒産合併、関税の撤廃、郵政民営化、年金の3上げなどが波のように押し寄せてきた。

 財団法人も例外ではなかった。明治に施行された民法による公益法人制度は各主務官庁が裁量に基づき法人設立を認可し、法人を所管していた。しか100年ぶりに新しい公益法人制度が施行される事になった。新藤花道学院も一般財団法人か公益財団法人のいずれかを選択し、移行手統きに入らなければならなかった。100年ぶりの改革というのは恐ろしいもので、誰も「正解」が分からずに手探りで始まった。決まっているのは、移行を認可されなければ財団法人新藤花道学院は解散させられてしまう事だ。講演会やセミナーに参加し、行政書士の先生の話を開き、どのような法人が新藤花道学院に相応しいか検討している最中に父、華慶が亡くなった。多発性骨髄ガンだった。進行が遅いタイプだったので本人も家族も油断していた。悲しんでいる間もなく、移行の準備をしながら理事長(現在は代表理事)を変更する事となった。自分が理事長となった途端に解散となったらどうしようと不安になり、そのころは4時間くらいしか寝られなかった。何とか型式が整い、公益認定委員会の審査を受けることとなった。委員は弁護士や大学教授だった。

 そのうちの一人が「花道教室が財団法人でいる理由が分からない」と文書で回答を求めてきた。私は財団法人を守り抜いた祖父、父の顔が浮かんだ。そして何故そこまでしてこだわったのか真剣に考えた。「華道は長くある一定の身分・立場の人のみが習える芸能だった。どんなに学びたくても入門すらできない時代があった。戦後財団法人を目指した祖父、新藤華盛は受業料を支払えば誰でも入門できるようにと考えた。この教育の機会を平等に与えるという方針は財団法人の認可を求める一番の理由だ」という一文が紡ぎ出た。その一文は祖父と父が大事にしてきた桂古流のいけばなを生徒様に教える尊さ、その熱量が私に憑依したのだと思った。その一文にこめた熱意が伝わるよう回答書へしたためた。

 その後ほどなくして委員会から財団法人新藤花道学院へ認可がおりた。

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