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活け花コラム
 

第一回: 愛情の一例

あらゆる芸術のテーマとなる愛。なぜ愛がそれほどまでに、もてはやされるのか。
愛とは抽象的には誰もが納得するものでありながら、具象化すると個人的なものに変化し、必ず反論が出る。勿論、平和や自由も同じなのだろうが、愛ほど身近ではない。哲学からテレビドラマまで、色々な時代の色々な愛が存在する。

いけばなにも夫婦和合の型という活けかたがある。陰(女性)陽(男性)お互いに気遣い合いながら一つの器に収まった姿には、確かに愛が存在する。どんな愛を他人が享受しようと、私には関係のないことだが、その行為が「愛」なのか、それとも愛という仮面をかぶった「欲望」に過ぎないのか、考えてから行動すべきだ。

私の家には、たまに六十から七十歳くらいの紳士が、一人で尋ねて下さる時がある。生前、桂古流で活躍下さった会員のご主人である。奥様に先立たれ、普通なら家に引きこもりがちになってしまうのを、わざわざいらして下さる。会話の所々に「生前、家内がどんなお教室でお花を活けていたのか見たくて…」とか「家内が生きていたら最初に家元先生にお礼を言いたいだろうと思いまして…」というポツリとした一言に深い深い夫婦愛を感じる。何かが胸をグッと押し上げる。

そんなご主人の中でも特に忘れられない方にNさんがいる。Nさんは奥様を亡くされた後、生前の荷物の中から、桂古流の免許状を見付けた。そして住所を調べたり、電話番号を探したりして家元教場まで尋ねてきて下さった。Nさんは奥様が桂古流にいた印に、何か記念品を家元の元に残したいとおっしゃり、新しい花器を寄贈して下さった。こちらで木箱の上に奥様の名前を筆がきにして、写真にとって送るとNさんは大変喜ばれた。

それから数ヶ月が経ち、桂古流展が間近に迫った。私はNさんに流展の招待券を送ろうか悩んでいた。もう奥様への供養も済んだのだし、私との縁も終ったと感じた。しかしその一方で、来るかどうかはNさんの判断に任せるとして、送るだけ送った方が良いような気もしていた。数日考え家元にも相談して、結局招待券を送ってみた。するとNさんから電話があり「展覧会の期間どうしても仕事で伺えず、大変に残念だ」ということだった。来て頂きたかったが、私がすべきことは全部したということで納得した。そして目前に迫った展覧会の準備に追われているうちに、いつしかNさんに出した手紙のことも忘れてしまった。

桂古流展がはじまった。たくさんの入場者が見えた。まさにお客様にご挨拶しているだけで一日が過ぎた。一門力を合わせた花展は評判もよく盛会のうちに幕を閉じた。最後のお客様が帰り、会員との閉会式も終わり、あげ花(撤去)が始まった。どんなに時間をかけた作品でも片付ける時はあっけない。三十分もすると、がらんとした元の部屋になってしまった。その部屋で家元が私に「そう言えば、Nさん来て下さったぞ」と伝えてくれた。家元の話では、Nさんは最終日の午後仕事を早く切り上げて、流展にいらしてくれたそうだ。家元がNさんに一つ一つ作品を説明していると、Nさんが背広の内ポケットに手を入れたり出したりしている。家元は「どうぞカメラなら遠慮なく撮影…」と言おうとしてハッと息を呑んだ。Nさんは背広の内側から、奥様の写真を取り出して一つ一つの作品を見せてあげていたという。その時Nさんは奥様と心の中でどんな会話をしていたのだろう。

私は夫婦の絆の深さと重さをNさんに叩き込まれたような気がした。激しく突き進むばかりが愛じゃない。こんな穏やかな、しかし熱い愛があることも知って欲しい。

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