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第七回:相手がいるありがたさ


日本神道ってすごいなあと思うのは、ご神体に鏡が鎮座していることです。全てを写し取り しかも自らはなにも写さない。たしかに尋常でないパワーを感じます。

まあ私は神様も仏様もありがたがっているだけで、全然その方面の知識はございませんし、ましてや宗教性うんぬんはここで語る気はございませんが、いけばなをはじめ多くの芸道・武道も写すという行為にありがたみを感じているような気がします。

たとえば、私が息子につきあって毎週かよっている柔道でも同じことが言えます。「乱取り」 という相手と組み合う練習のときは相手に一礼をしてから始めます。相手に対する礼儀ということもあるでしょう。柔道をしていれば礼儀の正しい子になれる、という定説もここから生まれたと考えられます。

そこからさらに踏みこんで考えれば最初の礼は「相手をしてもらうことで、自分がどこまで上達したかを見きわめる鏡」になっていただくことへの感謝の気持ちではないかと思うのです。乱取りをしている間は、相手がいるからこそ自分の弱点やこれからの進むべきスタイルが見えてくるのです。まして試合となれば全身全霊をかけて組み合うわけですから、相手の「鏡としての輝き」もますます冴えてくることと思います。

柔道にかぎらず全ての道は自らとの戦いであり、稽古です。どこまでも続く道を歩き続けねばなりません。ただ自分ひとりだけでは上達の度合いが量れないので、相手に写し出してもらう必要が出てきます。また相手も私を使って写しだそうとします。お互いがお互いの鏡になるので、お互いに礼で相手に感謝します。

さていけばなはどうでしょう。いけばなは先生になおしてもらうから先生が鏡ということでしょうか?
違います。花材が鏡です。

同じ種類のお花でも時期や産地、等級によって様々な表情を花材はみせてくれます。ある先生はむかしの稽古のエピソードとして初夏のあいだずっとひとつの花材が続いたという話をされました。けれど毎回ちがういけ方を教わったそうです。そうすることでその花材は手になじみ、色々な技術をおそわることで上達し、飽きもこなかったと言われています。
ましてちがう材料ならば春夏秋冬の四季も、肌で感じ様々な枝の硬さも指が覚え始めるでしょう。その上達を支えてくれるのは花材なのです。

いけばなの人が花材に対して心細やかに気づかう理由は、自らの上達を写しだしてくれる相手に対する感謝のあらわれといえます。


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