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第百一回 労働の総量は同じになる

 健康だけがとりえなのに、回復するのに時間がかかる。昔は酒飲んで寝てしまえば次の日ケロッと動けた。体の中にもう一つ元気の素を持っているように、すぐ治す自信があった。最近では病気のままズルズル長引くことが増えてきた。健康でやることがないのも辛いが具合悪くて休めないのも辛い。治るのも時間がかかる。年は取りたくないものである。
 お花の世界では48歳などまだまだヒヨッコ扱いなので、自分もそのつもりでいる。けれど、ふとした時に「ああ48歳はこんなものか」と感じることが多くなった。 夕方ものが見えない時、腕が上がらない時、胃が痛い時、夜中にトイレに起きてしまう時・・・
 だから動けるときには決定的に動いてしまう。休んでしまうと二度と動けなくなりそうに感じるからだ。
 40代は本当に楽しかった。体も動いたし新しいスポーツにも挑戦した。無理が利いて思いのまま仕事もできた。古典花の技術も知識も未熟な分、無謀な形を活けてみた。全ての分野で失敗も成功も派手だった。人生の山はここだったのかなと感じた。

 人の労働量は一生という期間の中でそうは変わらないのではないか。人は輝かしい結果を残す一方で大失敗を犯したり、社会的に成功しても私生活はままならなかったりする。プラスマイナスを均すと平凡に生きた人と、歴史上の英雄はそうは変わらないように感じる。
 無事これ名馬という。成功したり失敗したりする人よりアベレージヒッターの方が企業にとっては有益なのかもしれない。仕事にばかり目を向けている人より、家族に目を向けている人の方が人生幸せなのかもしれない。

 けれど世の中は目立つ人に惹かれてしまう。一瞬でも光る人に視線は集まる。

 同窓会などを開くとかつて同世代の中心人物より、私の方が順調に人生を送っていることもある。美味しい40代を過ごしているのは俺だ、と胸を張りたくなる。
 多分彼らは10代で与えられた労働量の大半を使ってしまったのだ。競馬で言えば1コーナーから2コーナーで早々と馬群に呑まれてしまったのだ。図太く生き抜いてきた私たちが30代40代で脱落するかつてのヒーローを追い抜いた。この10年間私はトップ集団を走ってきた。視界良好、飛ばしに飛ばした。しかしそろそろ息切れしてきた。自分の仕事の全体像も見えてきた。私もやはり人の子だったということだ。ここからはあまり無理せず成形された人生を仕上げにかかっていきたい。

 私は祖父や父の失敗談をたくさんする。そうすることで祖父や父を門弟の皆さんに身近に感じてほしいからだ。人は故人を偶像化してしまう。偶像化するとマイナスのところは隠蔽され、プラスの部分のみ強調されてしまう。しかし世の中にそんな人間はいない。祖父は痛風もちでビフテキが好きで祖母に頭が上がらなかった。父は腰痛もちでピースとビールが好きで猫に甘々だった。それだけでとても人間味がわく。今もいるような気がする。

 私は偉い人が好きである。偉い人ほど失敗談が面白い。とんでもない失敗談を笑いながら話す人に出会うと心から尊敬してしまう。一方、周囲の人間が無駄に偉い人を完全無欠にしてしまう。これはとても悪しき風習だ。すごい活躍をした人なのに面白い、で十分だと思う。偉い人ほど身近にいてほしい。

 司馬遼太郎の最大の功績は坂本龍馬の偉業を称えたことではない。幼少期の龍馬は泣き虫のよばあったれだったことをばらしたことにある。そのおかげでどれほどの人が「自分も・・・」と思ったことだろう。
 渡辺淳一の「遠き落日」も偉人野口英世を描いたものではない。隠蔽された野口英世の影をこれでもか!と、世間にさらけ出した。
 忌野清志郎を平和の使者のようにするのはやめてほしい。彼は完全無欠ではない。むしろ欠陥だらけの人間だ。歌っていた内容も最晩年の一時期だけで判断するのではなく、売れる前の時代から聞いてほしい。清志郎は私小説みたいな小さい範囲を歌うゆえ共感が生まれたのだし愛すべき存在になった。身近なちっちゃな出来事を歌うから好かれていたのだ。「Gatta!忌野清志郎」をどうか読んでほしい。彼の失敗談に触れることで温かみを感じてもらえるはずだ。

 偶像化の恐ろしいところは総量が狂うところだ。本来の姿とかけ離れたプラスばかりの労働量だけの人物に、人は共感しない。

 

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