桂古流いけばな/活け花/フラワーアレンジメント/フレグランスフラワー

ホームサイトマップ
 

第百三回 リバイバル

 NHKの大河ドラマがここ数年、苦戦しているという。長年視聴率を伸ばしてきたが、武田信玄、独眼竜正宗をピークとして下がり続けている。2010年以降はピークの半分にまで落ち込んでいる。ゲームやSNSなどが普及した。テレビ以外で手軽に映像を楽しめるようになった。

  これらの理由により若者のテレビ離れが顕著になったことで新規視聴者が獲得できない。無理に視聴者の若返りを図ったNHKの配役や脚本家の起用が、固定していた視聴者すら離れる原因となった。専門家に言わせるとその辺りが原因のようだ。

  専門家に思い切って尋ねてみた。「昔の脚本を配役だけ新しくしてリバイバルすることはないですか」と。すると即座に「ありえませんね」と言われた。毎年配役も脚本家も新しくするのがNHKのプライドなのだそうだ。
 私はとてももったいなく感じた。昔の脚本や演出を現代の俳優たちが知ることができたら、どれほどの財産になるだろうかと老婆心を起こしてしまう。



  リバイバルで成功している時代劇は多い。
 池波正太郎の鬼平犯科帳などはその最たるものではないだろうか。萬屋錦之助や丹波哲郎など数々の名優がそれぞれの鬼平を演じている。全く違う鬼平がしっくり来る。このような珠玉の脚本というのはどうすれば書けるのだろう。

  池波はエッセイの中で脚本の着想や人物設定について次のように書いている。
  「ばかばかしいと思われようが、作者の私自身も書いている人物が勝手に動き出す苦痛は、誰に行っても分かってもらえまい。ペンで作り上げた人間が、ほんとうに生命を持ってしまうとしか、おもわれないときがある」
 池波は13歳で株の仲買人となっている。現代教育では考えられない若さで社会に出て働き始めている。旋盤工に就いた後は出征、戦後復員してから脚本を新国立劇場で書き始める。幼少のころから舞台が好きだった。勤め出しても舞台に通い続けた。そして脚本家の道に進んだ。

 鬼平は池波の没後も続いた。不思議な終わり方をする回があるのは「原作にないものはやってくれるな」と注文があったからだ。テレビ局は「映像化可能な作品をすべて使用した後、複数の原作を組み合わせるなど工夫を重ねてきた」という。そこまでしても見続けたい人がいる。

 一見野放図に描かれているような脚本は過去の膨大な観劇と緻密な作品作りに支えられている。その緻密な脚本の中で己の芸を出し切る役者もすばらしい。鬼平がキセルをフッと吹くシーンがある。考えあぐねた時、憐れんだ時、閃いた時。微妙に煙の出し方が違う。おまさが三味線を弾きながら周りに目配せをする。複雑な感情の綾を眼差しで語る。
  それらのシーンに先達の後ろ盾を見る思いがする。過去の役者に対するオマージュとでも言おうか。吉右衛門や梶芽衣子の後ろに中村又五郎や山田五十鈴が浮かぶのは私だけではないと思う。



  いけばなもかつての名人の作品をオマージュすることがある。これは単に尊敬しているからするのではなく、オマージュすることができる技量に自らが達したこと。自らの成長を作品で内外に知らせたい思いもある。また経験を積んだものにしか分からない技術や細かい芸が隠れていることに気付かされる。

 リバイバルすることには大きな意味がある。二度と見られないと思っていた芸が、旬の才能を生かして蘇らせる。作り手にとっても観客にとっても大きな財産になる。

 

バックナンバー>>
桂古流
最新情報
お稽古情報
作品集
活け花コラム
お問い合わせ
 
桂古流最新情報お稽古案内作品集活け花コラムお問い合わせ
桂古流家元本部・(財)新藤花道学院 〒330-9688 さいたま市浦和区高砂1-2-1 エイペックスタワー南館