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第百四回 家の中の神聖

 何冊か宝物にしている本がある。その一冊が鹿島出版会から出ている「物語ものの建築史 床の間のはなし」だ。コラムにも何度か使った。ご記憶の方も多いと思う。鹿島出版会の親会社は鹿島建設である。中興の祖、鹿島守之助が読書家だったことも起因しているのであろうか。

 いけばな協会展の役員控室に、この本を置いておいたら他流の先生が次々読んでいて面白かった。この本の素晴らしいところは、分からないことに無理して結論を出さないことだ。
 第1章からして「床の間の定説はまだない」である。専門に研究している人が多くいるにもかかわらず、分からないと明記しているところがいい。
 理由としては床がトコかユカかという点、さらに台なのか寝床なのかという点が判断に困るところらしい。「ユカはイカの転化したもの」という一文に注目した。つづく「神聖不可侵の場所」の一文に床の間への答えを見出す。
 それにしても床の間とは結構なスペースを必要とする。神聖不可侵とは言っても限られた住空間で苦労するは今も昔も同じだ。時代劇には座るのも大変そうな狭い長屋が出てくる。
 狭くても床の間は必ずある。粗末な器に一輪挿しが入っている。
 そこまでして床の間のスペースをとる必要があるのか。神棚・仏壇との違いは何なのか。
 何ゆえの神聖なのか。

 私は「寝る」という行為に関係しているように思う。余りにも普通に考えられているが一日を無事に終え、床に身を横たえる幸せに勝るものがあろうか。
 良いことがあろうと、付いていない一日だろうと必ず寝る。布団に入ればそのうち眠気がやってきて物陰に隠れるように意識がなくなる。数時間ののち目が覚めると、体力が回復し気分もすっきりしている。これはほとんど魔法のようだ。寝ることは人智をこえた行為であり、朝起きられた時の感動こそが神聖なのだろう。今朝も目覚めることができた、ただそれだけに感謝し自然と祈りたくなる。
 床の間とは一日の初めと終わりを大事にする心が生み出したと考えたい。

 押し板から始まった床の間は、完成形となった以降では、家屋や家人の品格を高める働きが主だった目的となった。床の間に花を飾るということは誰のために、どういう場面でということが気にされた。が季節や時間、さらに言えば一日の始まりと終わり、目覚め眠りへの感謝も大切な要素なのだと思う。

 

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