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第百五回 孤独ゆえのチームワーク

 2010年の話なのでもう6年も前だ。
 スポーツの体験教室を次男の小学校で行なった。スポーツ好きの次男が出たいというので申し込んだ。しかしあまり楽しくなかったという。理由の一つは胸に名前のシールを貼っていたにも関わらず指導者が「貴様!」と怒鳴ったことだった。
 その後、次男なりに色々と考えたらしい。「コーチが貴様というスポーツは、合わないな。」と言いその後は興味を失った。

 やはり次男には柔道があっていたのだろう。柔道の先生は普段の練習では「新藤君」と言い、試合で興奮してくると「佑大!」と叫んだ。これが次男にはしっくりきた。今も楽しく続けている。
 たった一人の指導者の態度で、その分野全体を判断するわけにはいかない。しかし2人の指導者を比較した時、名前で呼ばれた方が子供は自立すると思う。

 柔道は畳に上がれば1対1の勝負となる。孤独な戦いだ。それゆえ相手への特別な意識がお互いにある。試合相手は敵というだけではない。もちろん味方でもない。お互い切磋琢磨しながら上達するかけがえのないライバルなのだ。
 試合相手だけではない。ある試合で次男が勝った。畳から降りて次の試合の選手とすれ違う時、ほんの一瞬握手を交わした。さりげなくて見落としそうな行為だ。試合を終えた者とこれから試合に向かう者のわずかなコミュニケーション。一瞬の握手、視線の交差。それだけの事なのだが深い深い会話がなされたようにみえた。

 畳に上がれば、試合運びから最後の極めまでたった一人で決めなくてはならないのが柔道だ。 上がる前には監督や先輩、仲間そして保護者から様々な声やアドバイスがかけられる。自然と選手たちは仲間の代表として出場することを自覚する。戦った後は監督や仲間の元に戻る。孤独ゆえ自分を支えてくれたチームの温情がひとしお身に沁みる。オリンピックで戦い終わった選手が、コーチと肩を抱き合うシーンをご覧になった人も多いと思う。

 私は柔道もいけばなも似たようなチームワークが存在すると思う。
 花席に作品を活けるときは作者だけで活けていく。けれど準備段階では何カ月も前から先生の指導を仰ぎ、仲間や花屋と相談し、先輩たちの作品写真を参考にして、作者自身のイメージを固めていく。多くの人の力で作品が完成する。

 いけばなは人の交わりは淡き水のごとしという。あまりくどい付き合いはしない。その場その場を大事にしサラリとしている。

 毎回新しい作品が生み出せるのは、いけばなが孤独ゆえのチームワークが確立しているからだと思う。

 

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