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第百六回 大御所という存在

 戦後70年経つと色々と変わることが多い。昭和20年だと祖父が現在の私よりも10歳も若かったのだ。感慨深くなってしまう。そう言えば各界でも大御所と言われる人々が減ったと思う。私は芸能界=テレビという世代だ。大御所がブラウン管に映ると楽しくなかった。何となく威張っているし周りはペコペコしている。こちらは関係が分からない。置いてきぼりになって、内輪の上下関係だけが強調される。面白くもなんともない。
 そんな大御所の存在が最近は懐かしく、時にはいとおしく感じる。彼らは大事な存在だったのだ。

 喜劇役者の大御所というと私にとっては伴淳三郎・益田喜頓・森繁久彌だ。すでに盛りを過ぎていた。筒井康隆が現役の頃を知っている。筒井の方が父より2歳年上なので私が知らないのは当たり前だ。私が最初に夢中になった喜劇役者は、品川隆二の月形兵庫だ。
 歌謡曲の大御所は岡晴夫、藤山一郎、田端義夫あたりだ。ギターを抱えてオースと出てくるのを記憶しているのは私の世代が最後だろう。
 伴淳は祖父と同じ世代だ。 役者として舞台から映画、そしてテレビと活躍の場を変えてきた。テレビで見ていたのは伴淳が70代半ばくらいか。映画の名優が必ずしもテレビで人気を博するわけではなかった。伴淳はバイプレーヤーに徹していた。一世を風靡した喜劇役者ではあったがテレビでは若い主役の後ろ盾となった。みんなが伴淳に気を遣っていた。

 何故か。
 正統だからである。
 芸の世界で正統は伝承の宝庫である。砂漠のオアシスに動物たちが集うように、正統の周りには人気芸人が集まる。
 山田五十鈴の周りに人気俳優が集い、桂米朝の周りに若手落語家が寄り、美空ひばりの周りに流行歌手が参じる。そして少しでも芸を盗もうと必死になる。

 ブラウン管から見えるペコペコした姿は普段からの姿がそのまま映ってしまったのだろう。大御所が偉そうにしていた訳ではなく、周りがたてまつっただけだ。
 私は今になってテレビで「ただで」正統が見られた事に深く感謝する。
 我流、革新、破天荒…それらは輝いているし私も嫌いではない。しかし正統の土台あっての話である。

 いけばなはどうなのか。正統と言われる人々の影が薄いのではないか。時代に培われた正統の扱いが軽いような気がする。正統は議論しない代わりにきつい言葉が飛び交う。相手を言い負かすのではなく上手いかどうか一目瞭然である。間違いかどうか分かってしまう。下手な時は頭を下げるしかない。努力するしかない。

 時代は和の文化に渇望している。正統に憧れている。

 我々の正統がひとつの分野として末永く存続するために、正統な大御所のいるいけばな界であってほしいと思う。

 

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