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第百七回 生きていない死んでいない

 この数年、小説を読むのが億劫になってきた。時間が取れない、視力が落ちたというのは言い訳である。昔から時間はなかったし、老眼になる前は近眼だった。
 結局のところ至芸を求めるあまり、納得できる作品に出会えなくなってきたということだ。昔は数を読んでいないし、感性も瑞々しかったから感動もストレートだった。今は相手に高いレベルを求め自分は鈍い感性で楽しませてもらおうというのだから、土台本読みには向いていない。

 私達は本ならば小説家、演劇ならば脚本家や役者にウソを付いてもらう。客は上手にウソを付いてもらうと喜ぶ。そのウソに感情移入できれば、みんな争うように金を払う。ウソが簡単にバレルようだと客はののしる。考えてみると不思議な職業である。

 写真もいけばなもウソである。「どうすればウソが真実っぽくに見えるか」を研究したのが広告写真だし「どうすれば切られているのに生き生きと長持ちさせられるか」を研究したのがいけばなだ。

 「イキが良い」という言葉がある。 エネルギッシュだ、生き生きしている、が類義語としてある。魚屋や花屋の商品は実際に生きていなくてもイキが良いという言葉を使う。これはウソとは違う。イキが良いというのは、獲れたての、という意味が近いだろうか。全く同じとは言えないのは手を加えることで、よりイキが良くなる場合がある。
 魚によっては獲ったその場でしめ、血ぬきワタぬきをし、塩を振って冷蔵・冷凍してしまうなどの加工した方が鮮度を高めるものもある。もちろん生かしたまま輸送したほうが良いものもある。

 初夏というのは最も花保ちに差がつく時だ。花屋がどんなに鮮度よく運んでくれても活け手がいい加減に扱うとすぐ萎れる。前にも書いたが魯山人は「花は水揚げ結構」としてイキの良い花を飾ってあることを褒めるとしている。葉の量が多い枝は葉を撮るのが良い。見た目がスッキリするだけでなく葉が少なければ切り口から水を吸って1枚1枚に十分水分が行き渡る。枝分かれが多い場合も何本かに分けてしまう。
 初夏は鉄線やビバーナム、紫陽花、藤など水揚げに苦労する花が多い。それぞれの水揚げ方法もあるが最近は便利な薬剤も増えた。
 根元の切り方もどう切るかによって全く水揚げが違う。斜めに切る、鉛筆のように削る、切り口を叩き潰すなどがある。

 切られているので生きているのではない、かといって枯れて萎んで死んでいるのでない。どちらとも言えない状態を作りあげる。水揚げされた花とは独特の造形物なのだ。
いけばなは鮮度が高く生気あふれる状態をいかに長く保つかということである。飽きた頃に枯れ、片付けられ、また新しい形となる。いずれは無くなる故に愛おしい。

 いずれは着陸する、故に遠い飛距離に挑戦し続けるグライダーに似ている。

 

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