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第百八回 「忙しい」の中身

 年々忙しくなる。現象として、これはどういうことなのか。
 「忙しい=仕事量が増えている」と考えれば格好がつく。
 この数年仕事量は減っていない。私は財団職員なので勤務時間がある。家元教室でのお稽古すなわち火木土の10時から9時、そして水金の5時から9時は教室での拘束時間となる。
 日曜日は14の研究会が年4回のローテーションで組まれている。合同の研究会にし、土曜や月曜もあてるが、一年の大半の日曜日は埋まってしまう。ルーティンワークとしては上記の2つだ。

 それに全国的ないけばな団体が3つ、地元が2つ。それぞれに新年会・役員会・旅行会・展覧会がある。もちろん全部出ているわけではないが、極力参加するようにはしている。自主活動の団体もチラホラある。会議やグループ展や勉強会がある。

 48歳のサラリーマンがどれ位の仕事を抱えてどういう暮らしをしているか、私には分からない。たまに一週間密着してみたいと思う。
 私の場合、仕事がそのままお金稼ぎにはならない。上記に書き上げたものを「営業」として全部仕事に含んでしまえば、忙しい部類に入るだろう。ルーティンワークだけならば暇な方ではないか。
 勤続年数というか仕事に携わる年数を一生から差し引けば、人生のほとんどが働くことになる。これは祖父・父を見ても、そのような人生だったので私もそうだろう。
 いけばなを愛し桂古流を愛してくれる人がいる。私にできることは精一杯尽くす。そこに定年はなさそうである。

 しかし年々こなせる仕事量も減っている。時間は確実にその取り分を私からも奪っていく。残念ながらそれが現実である。今は要領よくなっただけで、ギリギリ現状維持のふりをしている。実際には一番仕事ができた30代に比べれば15%は落ちていると思う。昔はもう少し街の集まりにも顔を出せた。色々なグループで実質的な役目を果たしていた。事務処理能力もあったはずだ。
 そう考えると「忙しい」の中身が気になる。これはかつてのように仕事量そのものが増えているのではなく、私の老化によりこなせなくなっているのではないかと思う。そうすると「忙しくて…」という言い訳は「年取っちゃって…」ということになる。残念ながら受け入れるしかない。残された能力でどの仕事を諦め、どの仕事を追求していくのか。そろそろ最終選択の時期に差し掛かっているように思う。

 長男と私の年齢を考える。 もし私と同じ人生循環で長男が歩むのならば、という仮定である。私は26歳で結婚している。長男は成人したので、あと6年後に結婚となる。孫におじいちゃんと呼ばれ手をつないで散歩するのも、遠い未来ではないのかもしれない。祖父も父もその頃には既に古典花の名人として名を馳せていた。
 55歳までには私も古典花の名人と呼ばれるようになるのだろうか。他の追随を許さないような段階まで登りつめることができるか。

 眠れない夜、鏡の自分に向かい問う。

 

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