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第百九回 江戸風俗としてのいけばな

 いけばなは江戸時代に大きく花開いた風俗である。

 文化だ芸術だという側面はもちろんある。それともう一つ、風俗の面は欠かせない。
 いけばなは庶民に近い存在であってほしい。コンサートホールのメインホールや立派なオフィスビルのロビーあるばかりがいけばなではない。
 私が飲みに行く店の一角に花がいけてある。いつもガラスベースにカサブランカが入っている。蕾であったり咲いていたりする。

 江戸の人々にとっても花とはそういう存在だったのではないか。太平の世が続き経済が発達すると江戸町人も衣食住が満たされてくる。商才のあるものは裕福になる。
 このような新たなブルジョアジーが誕生するのが元禄期から化政期である。彼らは経済活動を通し、富を得ることで日常生活安定させることに成功する。生活の中に娯楽を含めるようになる。

 たとえば文楽。今では伝統芸能だが、当時はとても刺激的な娯楽であった。幕府への批判などできない時代に、どうにかウサを晴らしたい想いがこの芸の人気を押し上げる。
 生の演目を義太夫が演じると、幕府から御叱りを受けるかもしれない。傀儡子によって人形を遣うようになったのはきわどい演目があったからではないか。言論の自由が約束されている私達には考えられない窮屈さがあったのだろう。その窮屈さが生み出した文化が多いのも町人主導らしい。

 一方でいけばなや音曲は酒席につながる。余談だが知人にバーで酔うとピアノを弾くという格好いい人がいる。カラオケにお酒はつきものだろう。かつて関西の先生に「酔って活けるのがいけばな」と言われた。大人の文化としてのいけばなは今も昔もある。
 浮世絵に描かれたいけばなは家というより店の広間が多い。ここで考えられるのは「いけばなを見てくる」といって遊びにいく理由にした男がいたということだ。いけばなをダシに妻の目を盗んで俗世の垢を落としたのだろう。寺社仏閣を参詣したあと厄払いと言って遊興にふけたのに似ている。

ツーテケテンテン
家に帰ってくると妻から「あら、お花見てきただけなのにずいぶんご機嫌じゃないか」と言われる。
亭主は慌てて「て、てやんでえお花見じゃなくていけばなだよ、いけばな」と言い返す。
「へえ、そのいけばなは綺麗なおべべきてたかい。おしろいの匂いがするのかい」とやりこめる。
落語の一場面ができそうである。

 金持ちの道楽は芸人を一流に育てることだろう。永六輔の著書の中に、食べさせ飲ませ小遣いをやって小言いうのが本当の客だとある。芸人は文字通りその人の羽の中で育てられて芸以外の一切は心配しないで生きていった。当然そういう客が来るときは気配りもした。歌舞伎役者も同じだ。御贔屓筋が楽屋に来るときは部屋に自ら花を活けたという。

 自身を少しでもおしゃれに見せたい、一つ上の人として見てほしい。お店をきれいに上品に見てほしい。江戸時代も現代も人々の願いはあまり変わっていない。いけばなは願いを手助けしている。

 

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