第十一回:心をとかす芸
人間40歳をすぎるとろくなことがない。仕事は全体像が見える分だんだんとややこしくなり、子育てのために「太いすね」を用意せねばならず、立場はあがり体力はおち、雑用はふえ自由はへり、愚痴ばかりになり笑顔はきえる。
毎日「今日は何の仕事をする日か」というのに気をとられ、その日その時を大事に過ごしていない。当たり前のように毎日起きられ、家族との関係もスムーズにいっていることがどれほどありがたいかという感謝すら忘れている。
どんな激しい運動にも準備体操、整理体操があるように、どんな忙しい日にも、美しい時間が必要だと思う。ガチガチの心をストレッチしてくれる時間がなければ、体までおかしくなっていく。
たとえ一日のうちの5パーセントでも3パーセントでもいい。「この時間のために自分は生きている」と思える美しい瞬間が人には不可欠だろう。
おいしいものを食べること、フィットネスジムで汗をながすこと、友人との楽しい語らい、素敵なセルフプレゼントを買うこと…「この瞬間があるから、明日また電車にのって会社までいける」という時間こそ、人が人にもどっているときなのかもしれない。
すてきな芸に触れることも心のストレッチに役立っているのだとおもう。ガチガチになった心を溶かす芸、それはあなたにとってなんだろう。映画、小説、絵画、演劇、音楽それらがあなたの心を溶かすなら、すばらしいことだ。
心を溶かす芸は押し付けがない。全て淡々としている。それでいて深くしみ込む。その芸に触れたとき自分でも気がつかない変化が起こる。こわばった顔に笑顔がもどり、ゆれなかった感情が震えはじめる。芸人あるいは作品はいつものように当たり前に芸をこなし、けれど観客は自分だけの時間に酔う。芸をとおして人は自身の心をみつめることを知る。心の変化にとまどいおどろき感激する。
ガチガチの心が溶けていくとき、涙することもある。ガチガチだった心がまるでぬけがらのように、自分から離れてみえる。今の自分はほんの少し、さきに進んだように感じる。芸を見終えた時、ほぐれた心をだきしめ人はまた世俗にもどっていく。
芸は技巧ではない。技巧がなくては芸にならないが、技巧だけでも芸にならない。
いつの日か自分の芸で誰かの心を溶かしてみたい。
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