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第百十三回 できた!

 高校の月曜日は学校に行きたくなくて仕方なかった。ただでさえ憂鬱な月曜日である。そこに重なるように数学とか英作文とか物理とかのテストが組まれていた。「月曜テスト」と称し、理事長も教師も自慢のシステムだった。全くどういう発想でこんなシステムを思いつくのか、生徒を学校嫌いにさせて楽しいのか、不思議で仕様がなかった。

 ただでさえやりたくないテストなので、せめてもの楽しみにみんなで賭けをした。一番良い成績の子ができなかった子に命令できるようにグループで決めた。但しお金がかからない事、警察沙汰にならない事、学校に通報されない事を条件とした。

 カーネルサンダースの人形に肩を組んで校歌を歌わせたり、キヨスクで雑誌を図書カードで貸し出して下さいと言ったりした(良い子は真似しないでね)。今だったらSNSなどで拡散されて、大騒ぎだろう。

 そのようなテストは正解と不正解が分かれた。子供たちが「できた!」というのは正解したということと同義だ。全部できたと言えば満点となる。ところが高度な問題になると正解と不正解の判断が難しくなる。高3になると小論文や記述式の問題などが多くなった。できたとかできないは判断がつかなかった。


 大学では写真や映画を見て評論を書かされた。合格点を取るには予め作品の時代背景や当時の思想などを調べておいた。作者がどのような思いで制作したかを探る。しかしそれだけでは評論はできない。かなり想像を逞しくしなくては、文章としての肉付けができない。指定された字数を埋め起承転結をつけても、本当にそれが「できた!」のか心もとなかった。


 実技となれば益々もって完成というのが分からない。いけばなは活け始めより活け終わりが難しい。いつまでも活けていたいと思う。私はいけ込みの後半「いつやめるか」の見極めに全神経を注ぐ。やめる瞬間は周りの人というより自身に向かって「ハイ、おしまい」と叫ぶ。

 正解も不正解もない、このいけばながとても人間臭く感じる。世の中ほとんどが正解も不正解もない。ない中で手探りしながら人は生きている。私たちはできた!という喜びより、こんなところが落し所かなあという諦めにも似た感覚を磨いている。

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