第百十五回 真面目な人ほど隙が必要
真面目というのは褒め言葉のようで実は両刃の剣だと思う。真面目すぎると相手に必要以上のストレスを与える。自分自身も住みにくい世の中にしてしまう。人は聖人君子ばかりではない。誰もが失敗する。その失敗を乗り越えて成長する。失敗を許せない社会というのは却って恐ろしい。一見強固そうな社会ができるが、民衆が疎んじ始めると真面目すぎる組織は瓦解する。
隙とか緩さはとても大事だ。自動車のハンドルに「あそび」があるように、失敗した者を許す度量が上に立つ者には不可欠と思う。失敗した者を笑って迎え入れる組織こそ部下は忠誠を誓う。かつて私が努めていたの職場はそうであった。ひどい失敗をしても職場みんなが大笑いして許してくれた。迷惑した人もいただろう。私を嫌いな人もいたと思う。でも許してもらったおかげで私は居場所を得た。許し合う気持ちは弾力のあるチームを作る。
一方で隙だらけの組織というのも困ったものだ。一定の規律の元に組織が作られないと烏合の衆になってしまう。組織内部の人の権利が守られ、安心して暮らすには規律は必要である。
規律とあそびは中庸が肝心だ。
イタリアで万引きした人がいた。貧しくて食べる物にも困っていた。司法は「食わなければ死ぬ」として無罪の判決を出した。日本で同じ判断が下せるだろうか。智恵や知識、流行に後押しされただけのその場の正義だけで解決していないか。「みんなが右だから右」では困る。
いけばなも人が歴史の中で作り上げてきた。私など及びも付かない天才達が、ああでもないこうでもないと草木から形を紡ぎ出してきた。 全く隙のない世界が完成したように思える。けれど最近そうでもないことが分かってきた。
古典花の上手を目指す場合、何も考えずに形を作り上げていくことが大事だ。天才達の技を真似ることがスタートではある。あるのだが、全くのコピーでいい訳ではない。それでは隙がない。真面目すぎるのだ。私たちは100%を目指して制作しなくてはならない。その一方で失敗を恐れずに歴代家元が挑戦してこなかった世界に立ち向かわなくてはならない。どこか手探りだったり、どうしようもなく想像で作ってしまったりの部分があって、芸は進歩する。
人はその時代・その場・人との出会いで変化する。花型も変化する。その時ただ周りの力で変化するのでなく、自身の隙も突く。突いて自身の根源に眠る部分をたたき起こす。今までそんな面があったなんて気づかないような自身を掘り起こしてくる。「こんな部分の自身でいいのかなあ」と不安になるような面を引っ張り出せれば自ずと作品は変わる。自身が一番嫌いな一番恥ずかしい部分をさらけ出す。それには隙だらけでどっぷりいけばなに浸かってしまうことだ。
寝ても覚めてもいけばに浸かっていれば、上っ面でない深い部分のいけばなができ上ってくる。
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