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第百十六回 天才と努力家

 かつてイチローの「努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。 努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。 人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです」というコメントが載っていた。
 さすがイチロー、心憎いことを言う。子供の頃、毎日バッティングセンターに通い続けたという逸話を聞けばそれも頷ける。
 柔道の選抜選手にとってオリンピック強化練習は地獄のように厳しいらしい。けれど谷亮子には「いつもより楽」と言って周りの金メダリストを愕然とさせた。
 どちらも苦を苦と感じないタイプの天才である。

 天賦の才に恵まれた者がいる。現代の落語家では立川志らくは天才と言われて良い。立川流では談志の方針で入門したら必ず築地で修行することになっていた。しかし志らくはそれを断る。談志は「それじゃあ破門だ」と言う。志らくはそれも嫌ですと言う。困った談志は「築地に行くのも嫌、破門も嫌なら仕方ないからそこにいろ」と唯一修行に行かせず手元に置く。
 私はここに志らくの才にたのんだ賭けを見て取る。うぬぼれではなく素直に「私ほどの才ならば師匠の元で修行を続けるべきだ」と思ったのであろう。入門後は最短で真打となった。
 その一方で志らくの脇には常に努力家の談春がいた。談春も充分才能に恵まれているのだが、志らくと比較されると、どうしても噺家としての才で一歩譲ってしまう。温かみのある談春の話芸は談志の毒の話芸とは趣が違う。先行く志らくと違う形で談志を継承しようとした談春は、メディアに出るようになる。テレビやラジオは高座とは全く違う能力が評価される世界だ。談春の温かい人柄は人々の心にスッと入り込んだ。談志や志らくと違った才能が花開いた。

 蜷川幸雄氏を桂古流夏期講座に講師で招いたことがある。世界的に評価されている点では指揮者の小澤征爾と同格だろう。
 桂古流家元助師の長谷川郁華さんが紹介してくれた。忙しすぎて行政の依頼も断るようなスケジュールの人だ。来るまで信じられなかった。
 蜷川氏は大変楽しく心に残る話をしてくれた。その中で栗原小巻と市原悦子の比較があった。女優にとって顔は命だ。美しい姿の栗原は存在するだけで画面が整う。市原は女優の中では美しいとは言えない。その分色々な工夫を凝らした。市原は一般の女優には出せない世界を表現するようになった。上品な話し方をしながら日常の空気感をしっかり出すセリフ回しは、嫌でも視聴者を引き込んでいく。市原ならではの、おっとりサスペンスという独自のジャンルを作りだした。

 談春にしろ市原にしろ、生き残るためには必死でしがみつくという姿勢が努力につながった。
 正統に行っては太刀打ちできない壁に苦しみ、あがき挫けそうになったからこそ努力家は天才にない幅を手に入れることができた。

 天才は決められた方向に決められた時期だけ能力を発揮する人なのかもしれない。努力家とは思いがけない時に思いがけない方向に邁進できる人と思う。
 談志が「才能だけなら噺家の中で一番。もちろん才能だけだよ。他はない。」と言った志らく評にはそんなニュアンスが漂う。

 

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