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第百十九回 花は人の心を奪う

 一年間、よくまあ開催されているものだと思う。祖父や父がいたら驚くほど一年中いけばな展が開催されている。 展覧会の業務は企画・準備・運営・整理の4分野に分かれる。私の一年はこの4分野のいずれかに当たっている。というか重なっている。 例えば平成29年の真夏。8月に私が出す展覧会が1つ、社中が出す展覧会が2つ予定されている。これは間近なので運営に入る。秋の展覧会は打ち合わせが始まる。もう一つは出品者を決める。これは準備。来春の展覧会は行政との打ち合わせが始まっている。これは企画。春に終わった県展の後援報告書を提出する。これは整理となる。4つ全て重なっている。なのでお花の先生は真夏でもあまり暇ではない。
 1年の中で最も展覧会が多いのは春だろう。春になると「日本は花の国」と言われる所以がよく分かる。梅・桃・桜・満作・雪柳・小手毬・水木・連翹・山茱萸・白木蓮・木苺など初夏の花材を割り引いても10種くらいは花屋の店頭をにぎわす。

 それら花の最も美しいところを使い、活ける。できれば他人よりさらに美しく見せたいというのが人情だ。それゆえ競い合うのが展覧会の一面である。

 余談だが私は桂古流がいけばなを教えに行っていた総合病院で産まれた。まわりの看護婦さんは全て桂古流のお弟子さんだった。お世辞で母に向かって「珠のような赤ちゃんですよ。あんな色白のかわいい赤ちゃん、今まで見たことありません」と褒めそやした。母はそのお世辞を真に受けた。初めて我が子と対面する時、哺乳瓶を渡されて授乳に向かう。母は赤ちゃんの名札も見ずに一番色白で可愛い子にミルクを与えた。すると母のうしろで言いづらそうに「あの、うちの子なのですが…」と別の親から声をかけられた。私は隅の方で泣いていたらしい。親と子は何も見なくても通じ合うものがある、というお話は我が家では通用しない。その一方で自分の子が世界一、と思うのもこれまた母の心理なのだろう。

 その意識がいけばなに転化したのが展覧会の作品だ。まして親先生のお手伝いとなると「自分が手伝っている時の先生の作品が一番と言われたい」というお弟子様心理が加わる。展覧会場でお隣の席の先生と笑顔でご挨拶かわしたあと、しばらくするとこちらにはみ出してくる。お隣は自分の作品に夢中でこちらには背中を向けている。はみ出してくることに気付かないのだろう。もう表情が別人の形相になっている。これは無理だと諦め、こちらが少し遠慮する。

 花は人の心を奪う。それだけでなら美しい話なのだが、よりよく見せたいという気持ちに囚われてしまうと周りが見えなくなるものだ。
 活け替えの時、地下駐車場で仕事をしていると出品者の皆様が片付けを終えて降りてくる。お花を抱えた出品者の後ろを、重い花器を担いでいく老紳士を見かける。定年後のご主人だろうか、行く所のない人々をぬれ落ち葉族と言うのだそうだ。不憫である。出品者は奥様の顔にかわり「あなた、先に行って車のトランク開けておいてね。荷物入れ終わったらパーキングのお買い上げ品預かり行ってパンプス2足取ってきて」などと指示されている。
 ご主人も荷物運びでなく一緒にいけばな始めればいいのにと思うのは私だけだろうか。こちらの視線に気づき「あら先生、主人でございます」などと紹介され私もシドロモドロ挨拶する。会場となる地下の駐車場は色々な人間模様が見える。

 

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