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第百二十八回 ストーリー

 O先生が教えてくれた大阪市天王寺動物園のニワトリのまさひろ君の話は面白い。まさひろ君はもともと「生餌」として入荷されたヒヨコだった。たまたまマガモのヒナに餌の食べ方を教える見本として「仕事」を得て助かった。また園内のイタチを捕獲するためオトリにされた。この時はイタチが来なかったので生き延びた。
 大型の獣の餌にされることもなくその強運ぶりに職員も驚いた。人に抱かれてもおとなしいことから人気者となった。

 高知にいた競走馬ハルウララを思い出された方も多いことだろう。人間は本当に気ままなものだ。餌だってなければ困るし、勝てない競走馬を買うほど地方競馬は裕福ではない。経営ということを考えれば生かしておくことのできない動物たちだ。
 しかし人間は時たま「憐れみ」という感情を抱く。 憐れみは気紛れなのにとても強い感情だ。憐れんだ対象を救うことで自らも清らかになれる気がする。消えてしまう者を助けてあげられれば善行を積んだ気になる。一つの命を救うため多くの人と団結することもある。助けてもらう側に立てば「チャンスに強い」ということになる。自身も強運にあやかりたいとの思いもあろう。

 無制限に生物の命に憐れみを抱くかと言うと、 少なくとも私はそこまでの博愛主義ではない。私は「ストーリー」を求めてしまう。ストーリーがなければ、まさひろ君も他の動物の命をつなぐ大切な餌でありハルウララも処分されるべき勝てない競走馬だった。彼らにとって最大の幸運は人間に憐れみを起こさせるストーリーを得たことだ。この動物達のストーリーに自身を当てはめた人もいたはずだ。「九死に一生を得た鶏」はアクション映画のヒーローのようだ。勝てないのにひたむきに走る馬は、家族に疎んじられながらも必死に働くお父さんが共感しよう。

 ここまではっきりしたストーリーでなくとも良い。いけばなは思いを寄せながらいける姿が大切だ。必死に生きているのは動物も植物も変わらない。 その命をいただいて活けるのだから、何を表現したいのかどんなストーリーが描かれるのか、一番見せたいシーンはどこなのか考えながら進める。
 苔の付いた古木からハッとするような一輪が咲く。 苔が生えるまで何十年かかったのだろう。どれほどの風雪に耐えたのだろう。幹の厚み、枝のよじれ、節くれだった樹皮にも生きてきた重みがある。重労働に耐えてきた人の手のようにゴツゴツしている。でも姿がその生き様を語る。一方で花は一瞬のきらめきである。つぼみが膨らみ、やがて花がほころび美しく咲き実を結ぶ。その変化は劇的だ。古木に咲く花には何十年物時を隔て、いまここで出会った枝と花が一瓶におさまる。そのストーリーをいけばなとする。
 色・形とともに大事なポイントだと思う。ストーリーを逃さずいけばなに封じ込めると命が吹き込まれる。

 

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