桂古流いけばな/活け花/フラワーアレンジメント/フレグランスフラワー

ホームサイトマップ
 

第百三十回 25年ぶりの

 独身のころ家内とは車で出掛けた。世田谷で家内を乗せた。用賀から第三京浜に入り横浜新道へ抜けた。 戸塚からは海の方を目指した。 藤沢、辻堂、茅ヶ崎あたりが目的地だった。海岸沿いに松が植えられている風景に心休まった。 現在では箱根駅伝往路3区にあたる。当時は若者の街、サーファーの聖地だった。小麦色に焼けた男女が車の屋根にボードを載せて海まで列をなしていた。

 私達はサーフィンどころか海までも行かず、車内から風景を眺め帰ってくるのが常だった。夕食は贅沢出来る時には鵠沼海岸のレールブランシュに行った。20代が気軽に行ける店ではなかった。しっかり小遣いを貯めてやっと食事ができる敷居の高さだった。
 それでも行きたかったのはお料理の味と支配人の優しく楽しい接客にすっかり魅了されたからだ。お料理は独特のフランス料理だった。オマール海老のバニラソース添えか子羊の香草焼きが出された。お料理を運ぶたびに支配人と交わす会話に、自分たちもお客様の端くれに加えてもらった喜びを感じた。誰に対しても一生懸命接客し、職業に誇りを持っている支配人にあこがれを持った。
 結婚してから行く機会を逸していたが、私たち二人にとって思い出深い場所だった。

 昨年の桂古流創流150周年いけばな展、そして今年の日本いけばな芸術特別企画in彩の国を無事勤め上げることができた。沢山の皆様に支えられて全ての行事が終わった時に、幸せな充実感とともに自分に時別な時間を与えてもいいかなと感じた。
 ふと「あの店に行ってみたい」と思った。家内を誘うと喜んでくれた。お店を調べたら現在も営業しているようだ。時間調整もとんとん拍子に計画が進んだ。実に25年ぶりに行くことになった。

 その店は名古屋という名前になっていた。料理の雰囲気は変わったが美味しそうである。期待しながら出掛けることにした。高速含め2時間の運転は久しぶりだったが道路アクセスが格段に向上しており助かった。予約の時間に余裕をもって到着した。

 店構えも庭も変化していたが過ぎ去った年月を考慮すれば、十分面影は残されていた。店内に入った瞬間上質なバターが溶ける甘い香りが鼻腔をくすぐった。25年前に引き戻されていく。にこやかに支配人が案内してくれた。新しい若い支配人だった。それも仕方のないことだろう。予想していたことだ。しかし以前いた支配人の気配というか空気感が残っていた。お店は彼がどこかで見守るように昔と変わらない雰囲気だった。品があるのに堅苦しくなく、落ち着いていて楽しい。

 彼は今どうしているのか。新しい支配人に聞いてみた。すると一緒にいた年嵩の副支配人が応えてくれた。彼は今も元気に働いていた。北鎌倉のイタリアンレストランでオーナー支配人になっていた。お客様に喜んでいただくのが嬉しくて、店頭で接客に勤しんでいるという。20代の頃あこがれた彼は私の知らない25年間も、しっかりとキャリアを積んでいたのだ。苦しいときも思い通りいかない時もあっただろう。しかし情熱を失わず努力し続けてきたのだ。とても嬉しかった。
 しかもレールブランシュが名古屋として再出発するために、多くのワインを彼が提供し都内から支配人と料理長を探してきてくれたと年嵩の副支配人は話してくれた。鵠沼海岸に残る私達の大事な思い出を彼は守り続けてくれた。彼は会えなかったけれど、彼は今もこの場所にいる。努力の軌跡が店を支えていた。
 お料理は今までの味付けより格段に垢抜けていた。アミューズからデザートまで全て感動だった。これがフランス料理かと思い知らされた。凄い人を引き込んだものだ。ここにも彼の非凡さを感じた。

 大友克洋の初期の作品に「聖者が街にやってくる」がある。かつて憧れたジャズグループ、青年だった主人公は中年になり、彼等との約束を果たせないまま日常に追われる。既に時代遅れとなったと思いこんでいた彼らは実は…というストーリーだ。
 彼は自分だけしかできない仕事に人生を捧げたのだろう。世界でたった一人の支配人、レールブランシュの再生人になろうとした。それを待っている人たちの期待に応え笑顔にしようと懸命に働いた。
 それこそ私の憧れた人だ。憧れた人が25年間も格好良くいてくれたことが私のことのように嬉しく誇らしかった。

 私もたった1人の人間になろうと思った。私にしかできない事。私が目指さねばならない技術。それを待っている人たちの期待に応える熱意。たった1人になるために生きていく。
 本当に満足のいく食事に支配人にお礼を言いながら、彼にも「ご馳走様」と心で伝えた。

 

バックナンバー>>
桂古流
最新情報
お稽古情報
作品集
活け花コラム
お問い合わせ
 
桂古流最新情報お稽古案内作品集活け花コラムお問い合わせ
桂古流家元本部・(財)新藤花道学院 〒330-9688 さいたま市浦和区高砂1-2-1 エイペックスタワー南館