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第百三十四回 こころの富

 今まで何百回読んだか分からない本に開高健の「私の釣魚大全」がある。1969年刊行の本だから半世紀前の本である。にもかかわらず失われない瑞々しい筆致やユーモラスを交えながら本質を抉る批評は今なお私を魅了する。立体的な描写、簡潔な文面、行間に漂う生命のきらめき。この書はいつでも訪れる私だけの森・川・草原である。

 特にどこが好きかと問われれば 「或るとき、私は、ほんとに遊んでいる人を見たことがある。」という一文と応える。「羽田の岸壁でハゼを釣っていた人である。貧しくて若い夫婦であった。どこかあの近くの工場ではたらいている工員らしかった。竿はただの延竿で、リールなどついていなかった。釣ったハゼはビニールの袋に入れ、装備などは何もなかった。日本酒の小瓶が一本おいてあった。二人はやすやすと岸壁にすわって足をたらし、竿をあげたりさげたりし、ときどき瓶からチビリチビリすすった。日曜でもなく休日でもない日だった。膚のしたでは悲愁や懊悩が痛い歯をたてていることが、ひょっとしたら、あるだろうと思いたい。けれどこの貧しい二人のまわりには高邁と自足の爽やかな匂いが漂っていた。」と続く。

  どうだ!と言わんばかりの文章である。ここに描かれている若者に金銭的な余裕はないかもしれない。でも彼等こそ本当の日本の豊かさだと胸を張りたい。人と人の奥深いつながりこそ、世界に向けて日本が自己推薦していく所と感じる。

  昔「不景気は人の心を豊かにします」というコピーがあった。何とも心憎く、そのポスターの前でしばらく動けなかった。映画ではディズニーのわんわん物語であったか、裕福な家を飛び出したヒロインの犬が優しい野良犬と恋に落ちる話が思い出される。レストランの裏口で二匹が分け合いながらスパゲティを食べる。一本のスパゲティを両端から食べて、二匹は偶然キスをする。一つ残ったミートボールをヒロインにあげる野良犬。何度見ても胸がいっぱいになってしまう。男児かくあるべし。
 結婚した頃、私の仕事で食べさせていけるか不安で不安で仕方なかった。いけばなで生活できなかったら、どうするのか。家内とどうやって暮らしていこうか。そんなことばかり考えていた。
 その頃、家内の祖父から渋谷の教室を預かった。土曜の夜は2人で教えて帰ってきた。夜更けの10時すぎ、車を運転しているとお腹が鳴った。仕方なく残っているお弁当を買った。仕事の後なのに家内に冷たいお弁当しか食べさせられないのが切なかった。しかし家内は美味しそうにパクパク食べていた。その姿を見て何とかやっていけそうだという思いと、少しでも温かいものを食べさせてあげたいという思いが私を変えた。お弟子様の求めるものを、即ち古典花の指導をできるお花の先生になろうと思った。私の原点である。

 先日コンビニのイートインに2人の男女が入ってきた。男性は何を買うでもなくクリスマスケーキのカタログを見始めた。女性ものぞき込み「わあ美味しそう!」「これもいいね」などと顔を寄せ合っていた。水玉模様はおそろいで水色とピンクの色違いの傘だった。雨宿りだけかもしれない。予約しないかもしれない。けれど彼等はかつての私達が、さらには開高健が見た羽田の男女がそうであったように、心の富を目一杯享受していた。

 

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