第百三十七回 抗えない運命があるからこそ一瞬は愛おしい
鳥が飛びたち、やがて舞い降りるように 船が陸をはなれ、再び港に寄りそうように 人は年齢を重ねるという運命がある。私たちは心身すべてリセットすることはない。たとえ化学がどんなに進歩しても時間はその取り分を私たちから奪っていく。どのような方法であれ若さをしっかり取り立てていく。
人々の願いは不老不死とかアンチエイジングとか言われる。天地人は戦略が成功するべきものとされているが、人間の力で自由にならない3要素ではないかと思ってしまう。
私は人生の主役に永遠にいられないし、主役でいる必要もない。時の流れの中で数十年が私の持ち時間だ。限りあるから何気ない日常も愛おしいし感謝の気持ちがわく。「竜馬がゆく」で盟友武市半平太の最後の数日を描いたシーンがある。それまでとは違い、すべての見え方が澄んだ心で接するようになる、とある。 この年だと何となくわかる気がする。読了後、私は「今日一日悔いなく一生懸命努力したか」振り返るようにしている。
私は笠智衆のような晩年に憧れる。上手な熟成の仕方、風格の出し方が男性の晩年には求められる。いつまでも権力や業務の中心に居座っていることは違和感がある。老木あっての若木ということもある。男性は無理に若木でいるより徐々に老いをますことで深みが出ることもある。
老いることの難しさは未だに味わわされる。海外に行った時のこと。 体格は私より大きいが明らかに年下の若い子に道でぶつかった。彼は笑顔で“Sorry
boy”と手をあげ去っていった。
最近通い始めたスイミングスクールでも似たようなことがあった。私よりいささか年上の皆さんと初級クラスで泳いでいる。或る時インストラクターが「お子さんは?」と私に尋ねたので「大学生が2人です」と答えた。すると女性陣が「えー」「うそ、わかーい」「独身だと思っていました」などと言った。
皆さん褒め言葉で言っているのだから不快感を顔に出さないが、男性が若いというのは苦労知らずというか不甲斐ないとも取れる。鏡をしげしげ見つめる。首にシワもあるし頭髪も薄くなってきた。けれどなかなか実年齢に見られないのは歯がゆい。今と昔では老化のスピードも違うだろうか。祖父が生まれたばかりの孫(私)を抱いている写真がある。写真の祖父は今の私より十歳くらい上だろうか。祖父には年相応の貫禄があった。祖父の薄い頭髪も大きいお腹も好きだった。
新しいものにはピカピカの良さがある。時に磨かれたものには重厚さがある。どっしりした不動の美が内在する。最近の男性はみんな若々しくなった。一見聞こえはよいが裏を返せば頼りなくなった。どの顔を見ても同じに見える。自信というものが顔に刻まれていない。
最近の花がそうだ。美しいが皆同じに見える。特に草花は見分けがつかなくなる。全部が旬なのだ。若葉や枯葉は手に入らない。市場ではじかれてしまうため、自分で探さないと活けられない。
ピークを過ぎたものの美しさ奥深さをいけばなが伝えなければと思う。
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