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第百四十四回 習い事をしてみる

 私の仕事はいけばなの指導だ。人様にいけばなを教える立場にある。その立場はもろ刃の剣であることを常に言い聞かせている。指導者の立ち位置が常態化し、指導という行為が漫然なってしまうことを何よりも恐れる。常に緊張感を持ち生徒の方に満足感を与えているか注視する。自身が習い事をすることで指導方法を振り返るのもいい。習う人の気持ちが理解しやすい。

 今はスイミングスクールに通っている。大学の頃までは人並みに泳げた。海での遠泳も参加したし、クロールでクイックターンもできた。しかし久しぶりにプールに入ったら泳げなくなっていた。最初は「へ?」という感じだった。自分が泳げなくなっていることが衝撃だった。長年泳いでいなかったせいかと疑った。体形が変化したり筋肉や関節が硬くなったのかとも思った。しかし泳げない一番の原因は息継ぎだった。クロールでどのタイミングで息継ぎするか全く分からなくなってしまった。水面に顔が出ていないのに息を吸おうとしたり、鼻から息を出して口から吸うのを逆にしてしまったり、呼吸の腕と顔を上げるタイミングがずれたりした。落ち込んだ。しばらく納得できなかった。 けれど前に進むには現状が事実なのだと思うしかない。「深刻な金づち状態」を受け入れることにした。悔しかったし辛かったが最初からもう一度指導を受けることにした。蹴伸び・ビート板キック…と小学校以来の練習をこなした。コーチからは「ヒジを真っ直ぐに」「お腹を引き上げて」「太ももを浮かせて」と言われた。泳いでいる時は自分の姿は見られないので分からなかった。けれどコーチから教えられて初めて欠点が分かった。その一つ一つを修正することで少しずつ形が整い始めた。すると息継ぎがちょっと楽になり、始め泳げる距離が伸び始めた。私が熱心に指導を仰ぐのは1つ目に上手に泳げるようになりたいから。2つ目に自分が教える側だとしたら…と想像しながら話を聞くとより身に着くからだ。


 ひるがえって、いけばなを考えてみる。
稽古場に来る人は何らかの目的をもって来ている。私は勝手に“自宅やオフィスに花をいけて飾りたい”“師範の資格が欲しい”“お稽古している時間を楽しみたい”など具体的な到達点があると思ってきた。最近もう一つ目的があることに気が付いた。「いけばなが上手になりたい」という至極当たり前な願いである。大部分の生徒さんは、いけばなが上手くなることが最終目標だ。自分の手で美しいいけばなを生み出すために教室に通っている。上手くできた充実感こそいけばなの最大の喜びだろう。そこに気付く事ができたのは自身で習い事をしたからだ。習い事をして自分が生徒になると新しい発見がある。

 

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