桂古流いけばな/活け花/フラワーアレンジメント/フレグランスフラワー

ホームサイトマップ
 

第百四十八回 呼称

 人は「慣れ」の中で生きている。慣れは日常習慣である。毎日の何気ない行為、するともなしに手足を動かしている行動を指す。働く生活に「慣れ」れば働くという行為は日常になるし、休暇に「慣れ」れば休暇の日々が日常となる。休日の前夜や初日の朝が嬉しいのは慣れていないからその差が生じ心が躍る。
 夏休みの最後の晩や新学期の初日の朝が憂鬱なのも又然りとなる。慣れは自身での行為以外に周囲の環境によって出来上がるものもある。例えば呼称、周りから何と呼ばれているか、というものだ。

 私は家内からパパと呼ばれている。その呼ばれ方も最初のうちはこそばゆかったが慣れてしまえば何の違和感も持たずに反応する。家族で買い物に行きパパーッと呼ばれ近づいたら他所様だったこともある。
 子供達だけでも「お父さん」と呼ばせるべきだったと思う。私の父華慶は規則を作るのが好きだった。実は私も子供のころ父をパパと呼んでいた。或る日、父が突然「パパと呼んではいけません。呼んだら罰金を取ります」と言った。罰金を取られたかどうか覚えていない。その日を境にもう子供じゃないんだと自覚し、お父さんと呼ぶようになった。結果として父の思い通りになったし私も正しい教育とは思う。ただ何となく心情として父の方法が気に入らず結局「お父さん」と無理に呼ばせないまま現在に至る。

 教室では「先生」と言われる。桂古流では私よりキャリアの長い皆様が多いので本当は先生ではない。キャリアの長い皆様の本当の先生は祖父であり父である。私の存在は野球に例えて言えば素晴らしい先発ピッチャーの後に出てきた不安定な中継ぎのようなものだ。この程度の私に「先生見てください」と言わねばならない幹部の心を慮ると先生という言葉に素直に反応できない。こんな私で申し訳ない、必死で努力するから私で我慢してくださいという意味を込めて「拝見します」と応える。

 町会では「新藤さん」「新藤先生」「家元先生」と呼ばれている。10年以上前の話だが髪を切りに行った時、予約表に「副家元」と書かれていた。町会で私しか副家元はいないからオーナー様がそう記したのだろう。予約表を見てスタッフの人が「そえいえ…はじめ・・・さん?」と読んだ。
 節分の時にいつも鎮守様で福まき神事に招かれる。裃を付けて集まった氏子の皆様に小袋を撒く。私が撒こうとすると、かつてお世話になった方がいて「新藤さーんこっちに撒いてー。ちょっと聞こえてる?新藤くーん。ヒロシちゃーん」と叫ばれた。私の周りは大爆笑に包まれた。

 呼称は魔物である。 先生という言葉に慣れて胡坐をかいた途端、その人は先生でなくなる。準備や片付けを生徒任せにする、休日や個人的に出かける際にも付き合わせる先生…そうなると努力もしなくなるのだろう。先生という呼称に寄りかかるだけ、名ばかりの存在になり果てる。先生と呼んでいる人々の心情を想像する繊細さもない。呼称は慣れるものではない、相応しい人に付く。華盛・家元・先生という呼称は重い。男児命がけで守る仕事として申し分のない大名跡だ。私は家元先生という呼称と素の自身を天秤にかける。常に戒め家元先生という呼称に値する内容が自身にあるか見張っている。桂古流一門にとって家元はたった一人である。家元という呼称に違和感ない存在なのか。
 歴代家元はその重みに耐えた。また歴代の一門が支えてきた。150年間片時も途切れず連綿と繋がってきたことを思うと桂古流の貴さ、情の深さに胸を熱くする。

 たまに家元でなく新藤浩司という人間だったら私の人生はどうだったのだろうと想像する。祖父・父の七光りもなく、大学も芸術学部に進まず、百貨店にも勤めず、いけばなにも出会わない私。個人の力量のみで生活していたら…とうつらうつら考える。真面目に働いていただろうか、職業は何に就いて何処で生活していただろう。滅多に記さない本名を見るともう一人の自分という存在が急に気になる。根が怠け者でいい加減な性格なのでロクな生涯ではないはずだ。

 緊張感を強いられストレスが加わるのが呼称を継いだ人間の定めと思う。華やいだ呼称ではあるがそれだけではない。

 

バックナンバー>>
桂古流
最新情報
お稽古情報
作品集
活け花コラム
お問い合わせ
 
桂古流最新情報お稽古案内作品集活け花コラムお問い合わせ
桂古流家元本部・(財)新藤花道学院 〒330-9688 さいたま市浦和区高砂1-2-1 エイペックスタワー南館