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第百五十回 夜汽車

 人の記憶というものは気まぐれなものだ。覚えていなければならない事柄はすっぽり抜け落ちどうでも良い事や忘れ去りたい恥ずかしい思い出は壁のシミのように残っている。残っている記憶を系統だてていくと人生の大枠というかその人全景が見えてくる。

 私は小学校に入るのを機に駅前に移り住んできた。貨物列車は家の窓から直線距離で20メートルと離れていなかった。今と違って鉄道輸送が頻繁に行われていた時代だった。最終の車両は人が乗っていた。車内には黄色い電灯が点いていた。詰まらなそうに窓に肘を掛けていた。あの人と荷物はどこまで行くのだろう。私の知らない時間に私の知らない場所で旅は終わる。ほんの一瞬見ただけの人はもう二度と会うことはない。子供心に不思議な気がした。
 万年筆のCMだったか夜汽車に乗った青年が手紙を書いている姿が映っていた。汽車は満月の下、山裾を一直線に走っていく。真剣に書く手紙は誰に宛てたものだったのだろう。家の中ではない夜汽車の中というのが秀逸だった。
 夜汽車が歌詞に出てくる頻度が高いのは甲斐バンドだろう。ストレートに「最後の夜汽車」という題名の曲がある。「君が乗った 最後の夜汽車 僕の街を遠ざかる…」君への切ない思い、揺れる感情を振り払うように汽車は物理的に距離をひろげる。夜汽車と恋の終わりはつながってしまうもの、鼻の奥がツンとするのは50を過ぎたせいだろうか。

 別れを告げた相手はどんな顔して夜汽車に乗ったのか遠い記憶は心の傷として残っている。私など振られたことの方が圧倒的に多いのに辛さは忘れてしまっている。むしろ別れを告げた記憶は心の湿度の高い部分に粘りついている。恋の終わりを告げた相手はどうであったのか想像する。夜汽車で泣きながら帰った人もいるかも知れない。いやな想像である。
 人は時としてどうにもならない運命に翻弄されるときがある。誰が悪い訳でも憎い訳でもなく歯車が少しずつ狂っていく。人との別れを素直に涙し悔やむには夜汽車は相応しい。社会人になると素に戻れる場所などそうはない。お店で泣いたら迷惑だろうし、自動車を泣きながら運転していたら危険だ。夜汽車に替わる場所はどこだろう。通勤列車のグリーン車で隣に人がいなければ泣いても迷惑でないかもしれない。 

 記憶と言えば小学校のテストがある。試験の問題で興味深い文章はいつまでも忘れずにいた。父と子供が夜汽車で旅をしようかという文章があった。暖かく優しい親子の交流がそこにあった。かつて父親が夜汽車で通った頃の鮮やかな情景が描かれていた。いつか全文読んでみたいと思ったまま大人になりそのうち忘れていた。新聞か何かの紹介で数十年ぶりにその作者が三浦哲郎だと知った。『春は夜汽車の窓から』という短編にはもう少し挿話があり奥行きのある世界が作られている。今の今までその文章を書き写すつもりでいたのだが、やめることにした。それは皆様があらためて読まれるのが良いと思う。
 かつての恋の思い出と共に

 

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