第百五十六回
マイスモールタウン
80年代のアメリカンロックシンガーにジョンクーガーメレンキャンプがいる。ブルーススプリングスティーンと共に人気を博した。彼のヒット曲small
townは高校から大学の頃に聞いていた。Well I was born in a small townから始まる歌詞は衝撃だった。広いアメリカ、家を出て荒野を旅する若者…ボブディラン以降、勝手に持っていたアメリカの若者のイメージと逆だった。一生を一ヶ所の町で過ごす歌は私の人生に近い気がした。私自身、世界を相手にする生き方に憧れていた時期があった。
しかし私には無理というか性に合っていなかった。大きな舞台で勝負する自身を想像できなかった。私は今でも東京に憧れを持っているし大好きな街だ。それはそれでいい。憧れと幸せは違う。たまに出掛けて気分が高揚するのが東京、帰ってきてやっぱりホット寛ぐのが浦和。私のリズムはそうなっている。
世田谷出身の家内と結婚する時、埼玉でやっていけるかという不安はあった。しかし家内は「浦和って好きよ、歩いて伊勢丹に行けるし」と笑った。なんとも彼女らしいコメントだった。家内にもたくさんの仲間が浦和にいる。
浦和が生活の基準として半世紀以上経っている。朝走っていても、教室で働いていても、近所に買い物に出ても、用事もなくふらついていても浦和が基準になる。
浦和だからこその多様な用事を頂く。 町会の役員、消防団、選挙の立ち合い、夏祭りの委員などその時期により様々な形で仕事となる。またいけばなでも県庁、市役所の皆様はじめ、埼玉会館、さいたまの花普及促進協議会、総会で使うホテル、デザイン印刷出版関係などの様々な業種の人々に支えられる。桂古流家元本部に、埼玉県いけばな連合会・さいたま市いけばな芸術の本部事務局がある。
そのため色々なメールが届く。いけばなを指導しながら展覧会・総会の打ち合わせということもあるし、夜のお稽古の途中で防災夜回りに行って帰ってまたお稽古の続きをすることもある。私の日常業務は桂古流の全般事業が8割、地元の華道協会事務が1割、町会関係の運営が1割となる。
祖母に言われた事を胸にとどめている。 今ではブラック企業と言われてしまうかもしれない。「お前が仕事を選ぶのではない。仕事がお前をわざわざ選んでくれたのだ。いけばなは勿論できる限りの仕事はお受けしなさい」と。
浦和はお高く止まっている街と言われるが、思い切って飛び込むとすぐ親しくなれる。声をかけてくれる人が多い街だと思う。昔から今でも様々な人に声をかけられる。穏やかな日差しの中、他愛もない話をしながらこの街の空気に包まれていることに幸せに感じる。
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