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第百五十八回  叱られ可愛がられ@

 コンプライアンスとかハラスメントとか言われている昨今には相応しくない話題かも知れない。今回はそのギリギリのお話である。現代において正しいとも思わないし、まして皆様に勧める気は毛頭ない。けれど私の中では楽しい記憶なのである。意味を勘違いしていたら申し訳ないがハラスメントは「嫌がらせ」の意味なので相手が嫌がらせを受けたと言えばそれはハラスメントである。私個人としては以下の内容はブラック企業でもパワハラでもなく一人前の社会人の形にして頂いた感謝として記していると予めご認識願いたい。

 Tさんは勤務先の字書担当だった。百貨店でものし紙はプリンターで打ち出す時代になってしまったが、かつては売り場に書道の達人が必ず一人はいて、毛筆で書いていた。熨斗紙の字が百貨店の格につながるといっても過言ではなかった。お好みの書体の社員を指名されるお客様もいた。大量の筆耕やお店の中の案内告知は売り場で対応できないので、字書担当に依頼した。その首領がTさんだった。

 Tさんに書いていただくのは大変なことで、書類提出が遅れてもいけない。書き終わったらすぐ取りに行かねばならない。色々気を使わなくてはならないのに私は全く知らなかった。字を書いてもらう筆耕依頼書に「必ず1週間前まで、こちらが了承すれば3日前までに受付を済ませてください」という但し書きも大袈裟だなあと能天気に構えていた。そして前日に筆耕依頼を持って字書担当に行った。扉を開け「筆耕お願いしまーす」と依頼書を置こうとした。すると依頼書は、きれいに磨かれた机の上をツーッと滑りTさんの前で止まった。その書類を取り上げTさんは「お前、上司は誰。」と尋ねられた。能天気な私も何かまずいことをやったか…と思いつつ「Hさんです」と言い終わらないうちに内線をかけ「H!お前のところの新人が俺(お知らせまでに女性です)に明日までに書けと言ってきた!どういうことだっ!」と怒鳴った。ああこれで宣伝部での勤めは終わったと思った。

 300メートルくらい離れていた宣伝部から字書担当まで全力疾走したらしい上司がハアハア息切れしながら飛び込んできた。そして私の首根っこを押さえ頭を下げさせながら自分も90度に下げ「この度は申し訳ありませんでした!」を叫ぶように詫びた。Tさんはやっと機嫌を直し「まだ事情をよく知らないようだから今回だけは大目に見るが、二度とこのような事のないように」と許された。

 それから私のTさん詣でが始まった。1990年、時代はバブルだったので物産展を開催すると地方の業者がお客様への頒布品を山のように持ってきた。物産展が終わり、業者が置いて行った頒布品を真っ先にTさんの所へ持って行った。筆耕依頼も期日を守った。重そうな荷物は代わりに運んだりした。その甲斐あって徐々に可愛がられるようになった。大晦日はTさんの大仕事の日だった。お正月らしく「明けましておめでとうございます。」と社名を入れて大書きする。それを装飾し店内看板に仕立てる。Tさんの仕事納めだった。看板を仕立ては後、Tさんを中心に年越しそばを食べるのが風習だった。隣に座った私は一生懸命に話した。Tさんは上機嫌で聞いていた。帰り道Tさんは「新藤、お前は最近本当に気が利くようになった。努力したな」と褒められた。私は嬉しくなり「ありがとうございます」と返事した。次の瞬間「そこで、だ。新藤の2才下に俺の姪がいる。結婚しろ」ときた。私の隣でアルバイトのチーフをしていた京子が大笑いしていた。丁重に丁重にご辞退した。

 私が百貨店を去って数年後、Tさんが定年退職することになった。教室に直接電話があり「来い」と一言命令が下った。パーティでは一課長の送別会とは思えない程、重役が揃っていた。Tさんを贔屓にしたお客様には一本足打法のホームラン王もいた。クライマックスはTさんが筆をもって大きな文字を書くことだ。「私はずっとこの言葉を胸に努力して参りました。皆様にも是非お伝えしたいと思います」と話し墨黒あざやかに「忍耐」と書いた。思わずそれは私達が強いられたことだ!と思ったが口には出せなかった。お土産はカステラだった。甘い物が好きなんて意外と可愛いなあと思いながら立派な木箱を開けるとカステラの表面にシロップで「ありがとうございました」とTさんの書体で書かれていた。怖くて切れなかった。

 

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