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第百五十九回: 叱られ可愛がられA

 いけばなの世界に入って随分性格の角が取れたと思う。それでもか!と言われるかも知れない。素の性格はもっとジグザグギザギザだった。いけばな公募展は席札が手作りだった。 好きなマジックで好きな形にした。席札も作品の一部だった。公募展に参加し徐々に認められた頃だった。席札の名前の上に「がんばれ浦和レッズ」と書いた。いけばな公募展は既存のいけばな展に対するアンチテーゼから始まったので要項はかなり寛容な展覧会だった。このくらい書いても良いだろうと思った。

  その夜の懇親会で大先輩から呼ばれ「あの名札は何だ」と問い質された。「公募展は真剣に作品制作に望むのならば自由な展覧会だ。しかし何でも良いということではない。あの席札に書かれたがんばれ浦和レッズは作品とどういう関係があるのか。君の表現の一助となっているのか。説明してほしい」と話された。返す言葉がなかった。かつて現代いけばなが出品のためにどれ程苦労したか私は知らなかったし、勉強もしなかった。いけばな公募展の自由は、現代いけばなの権利を勝ち取るための戦いの過程で生まれたものだ。私がいけばなを始めた頃は、現代いけばながメインの花席にドンと収まっていたからその戦いの歴史は知らない。が、そこまでくるのは大変な道のりだったろう。それは下田先生をはじめ多くの先生方の討論や論文に触れ分かっているつもりでいた。でもその熱量まで把握できていなかったようだ。

  その後、現代いけばなに限らず作品を作り始める時は「それを本当に活けたいのか」と思うようにしてきた。大先輩が持っている熱量を私というフィルターを通して自分の制作に生かした。少しずつ距離が縮まって随分信頼して頂けるようになった。今では誕生日にメールを頂けるようになった。大先輩を始め著名な方々とも顔見知りとなり、お話しするようになれたのはとても嬉しい。


 中でも特によく叱られたのはK先生だ。東京の会議に行くといつも上座に座っていて周りを睥睨していた。迫力ある外見とその割に可愛らしい声は一度会えば忘れられない。会議で同席する時とりあえず寄らず触らずの距離にいようと思った。

  私が花育検討委員として説明する機会があった。下手な説明をこなし椅子に座るとK先生が「新藤理事、たいへん詳しくお話し頂きありがとうございました。しかし花育が今までの活動とどう違うのかもう一度ご説明願えますか」と言われた。私の緊張はMAXに達した。さらに酷い説明をするとしばらくしてK先生から「新藤先生ごめんなさいね。もう一度」と言われた。泣きたい気持ちで説明しその会議は終わった。ヘトヘトに疲れ会場を出るとK先生が待ち構えていて「新藤君全然分からないわよ」と叱られた。いつの間にか名前を覚えられ“ロックオン”されていた。

  K先生の所属する流派の祝賀会に招かれた。いつも洋装のK先生がキリッと和装姿で立っていられた。「あら新藤先生ようこそ」と言われた。私は署名の最中だったので頭を下げたまま「いつもお世話になります」と応えた。するといつもの調子で「新藤君、目を見て挨拶する!」と言われハッと顔を上げるとK先生が笑っていらした。周りの先生から「新藤先生、目をかけられていますね」とからかわれた。展覧会の受付で一緒に座っていると、現代いけばなの事、ご流派の事、協会など組織の事、将来の事を忌憚なく話してくださった。そして必ず〆に「うちの家元をよろしくね」と言われた。

  いつもいけばなといけばなに関わる人への愛にあふれていた。だから厳しい言葉を言われても温かみがあった。私達のグループ展に新しいメンバーとして門弟の方をご紹介して頂いた。私だけでなく白龍にも優しく接して下さった。冗談交じりに「新藤君のお母さんと同じ年だわ。これからは私を実の母だと思ってもっと優しくしなさい」と言った一言が懐かしく残っている。

 

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