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第百六十回: 情報に重さがあった時代

 何のためのパソコンだと言われそうだが、このコラムの校正はわざわざプリントアウトして紙で見ないと修正箇所が見つけられない。その紙で私が確認し白龍がさらにチェックして戻ってきた紙を見返しながら打ち直す。この辺りが私の限界点らしい。「物=重さ」がない情報はどうしても苦手だ。

 そういえば重い学生カバンを持って歩いている高校生がめっきり減った。四角いリュックをおしゃれに背負って颯爽と自転車をこいでいく姿を見かける。うらやましい。昔のカバンは憎らしいほど重かった。川越線で床に落とすとドサッと音がするほど重かった。丈夫で教科書はたくさん入ったが、現代のリュックだって相当入りそうである。要は「勤勉にみえる」姿が高校生に相応しいと当時の大人は考えたのではないか。母校のカバンは金融の渉外係さんが重そうに運んでいるカバンに似ていた。笑ウせえるすまんの喪黒福造のような形をしていた。思春期の3年間に重いカバンを持たされていた結果、左肩が下がった体形と「重さがあると安心する」奇妙な人格を手に入れた。

  その頃の本は教科書も参考書も重かった。6時間分全部持つと筋トレか!という重量だった。あまりに重くて腹が立った私は家庭用と学校用と教科書を2冊ずつ揃えた。快適ビフォーアフター風に「何という事でしょう!」とでも言いたくなるほどノートだけだとカバンはとても軽いのだ。スキップしたくなるほどだった。本の重さは情報の重さだった。研究社の英和中辞典、岩波の国語辞典、古語辞典や漢和辞典などなど分厚かったし重かった。1ページは薄くてペラペラなのに何でこんなに重いのか…1冊暗記したらすごいことになるんじゃないかと思う情報量・単語数だった。辞書は仕方ないので持ち運びした。

  紙は重い。社会人になるとシステム手帳は必須アイテムだった。憂鬱な会議の時は一段とズシリと感じた。雑誌も情報源として欠かせなかった。写真の質が良い『家庭画報』は重かった。『ぴあ」は軽くても『ぴあマップ』は重かった。

  音楽はレコード世代だ。LPは2500円で33と1/3回転、EPは700円で45回転だった。ジャケットも魅力的だったし、曲やアーティストを紹介した文章も面白かった。この手の文章がサブカルの黎明期かもしれない。レコードを買った時の重さが嬉しかった。実際レコードを買った後何回も聞くかと言うとそうでもない。家に帰ってきてカセットに録音した。持ち歩きに便利なのはカセットテープだった。机にはTDKとかmaxellとかのカセットテープが山ほどあった。車にはカーステレオが設置してあった。ドライブにはカセットが必需品だった。スキーに行く時は運転のためのカセットテープと滑るためのカセットテープを用意した。早朝誰もいないゲレンデでウォークマン(携帯用のイヤホン式カセットレコーダー)にカセットを入れて滑ると音楽と景色に自分が溶け込んでいくような気がした。

  写真学科だったので写真の機材も重かった。アシスタントをしている時三脚とカメラを担いで新幹線のホームを駆け上がった夜、鏡をみると首の付け根がミミズ腫れになっていた。フィルムの保存も専用の紙箱にシートを入れ保管するので場所をとった。

  恐ろしいことにこの10年で上記の情報は私の生活で重さを無くした。場所も取らなくなった。子供達はパソコンやiphonに直接文章を書いている。それも良いのだろう。でも私は古い「新人類」なのでそんな器用なことはできない。かつて情報には重さがあった。手ごたえがあった。触れることで興奮や期待を高めてくれた。情報は重さとなり感情を揺さぶった。どんなに難解な情報であれそこに重みがある限り誰かが紙にペンで書いたことによって私の手元にあるという素朴な事実が安心させてくれた。情報の重さには作り上げた人の苦心や克服した喜びが込められている。

  祖父や父の遺した書物や作品写真を見るたび、情報に重さがあった時代も悪くなかったと思う。

 

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