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第百六十六回: 鼻・目・耳・口

 私たちは情報を送受するのに体の器官をつかう。どんなにSNSが発達しても情報が最後に届くのは私たちの身体だ。体から入った情報は脳に到達し分析される。感情に作用することもある。適切な判断をした後、その情報を送り先に返すのは人の作業である。

 つまり「人」なのだ。無機質な物ではない人が相手側にいる。時にそれを忘れてしまう自身が怖い。こちらが流した情報は温かみのある人・感情のある相手に届くという事とは何かを意識しなくてはならない。

 大学の時だから30数年前だが、Nさんという人がいた。誰とも話さなかったし、目も合わさなかった。まるで人のいない所を歩いているように周りの人に無関心だった。そんなNさんがある時突然「ねえ、〇〇先生の授業とっていたよね。ノート貸してくれる?」と声を発した。初めはNさんが話したとも私に話しかけたとも気付かなかった。「ノート貸してくれる?」と重ねて言われ貸した。その後校内であったので「おはよう」というと元の無関心なNさんに戻っていた。私は親しくなったつもりで「この前のノート役に立った?」と尋ねると横を向いて「チッ」と舌打ちされた。Nさんにとって私は「モノ」だったのかもしれない。

 人が人に情報を伝える時、言葉や動作のやりとりを直接おこなうほど強い印象が残る。直接のやりとりは限られた人にしか届かない。そこで媒体(メディア)を使い不特定多数に伝えようとする。新聞、雑誌、ラジオ、映画、テレビ、インターネットなど様々な手法で私のもとにも届く。私の目から耳から厖大な情報が入ってくる。その中で残った情報は何だろう。身体を動かさずに得た情報は大半が砂時計のように消えてしまう。やはり体を動かして身に着けた情報とは違う。情報の語源は一説に戦場の状(情)況の報告からきている。多分に有機的なものである。間違った情報は命取りになる。日本人が情報の過ちに厳しいのはそんなことが原因かもしれない。運転していてカーナビが道路状況は正常だと表示している。しかし目の前ではガス管工事が続いて片側車線を封鎖している。直前の車まで通過させてもらい私は停められてしまう。帰り道その道を戻らなかった。素敵なランニングコースが紹介してあった、夕方走ったら木の根がコースを押し上げて転んだ。そこは走らない。味もサービスも今一つのお店と評価されていたが小学生の頃食べた祖母の味そっくりだった。私の中では最高である。

 情報は私たちが基準である。自信を持って使ってほしい。ビッグデータの何%がいけばなをしているのか。何%が古典花に感動しているのか。効率重視のDXは人間中心の伝統文化にかみ合うのか。情報の発信者は春夏秋冬の植物の香りを知っているのか。私たちは発信者に使われる側になってはならないし、操られてもいけない。情報と事実は違う。自ら確かめもせず情報を鵜呑みにして他人を攻撃するような愚行を犯してはいけない。

 個人としての日常を満足させてくれるなら少しくらい時代遅れでも収益が上がらなくても構わない。人間の生きがいや情熱は、企業競争より優先しなくてはならない・・・とド素人の私は思う。誰が大谷翔平の活躍を予想できたか。誰がドラマから出た真のように星野源と新垣結衣の結婚を予想しえたか。データはデータだし情報は情報でしかない。ただ私と目の前で起きた事実はたった一つである。その中で選択していくには鼻・目・耳・口を頼るしかない。これは自身にもはね返ってくる。私は相手の話を聞いて要望を引き出し、満足いただける解答を目と耳に伝えているだろうか。情報だけで終わってしまっていないだろうか。たった一人を笑顔に変えることができなくて、その日の教室は明るくできないし、流派も勢い付かない。

 こういう時代だからこそ鼻・目・耳・口に訴えかける存在になるべきといけばなに携わる者として肝に銘じる。


 

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