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第百六十九回: コンプレックスが仕事をさせる

 なぜ私は体を鍛えるのか。ひまを見つけてジョギングしジムに通うのか。ふと自身を突き放して考えるとかなり可笑しい。今では習慣というか動かないとムズムズするので気付くと体を動かしている。でも家元としては動かし過ぎと思わなくもない。防げる病気と防ぎようのない寿命の間を50半ばの私は生きている。適度な運動とバランスの取れた食生活は気遣う同世代の人が増えた。規則正しい運動は精神的にも頭脳活性化にも一役買っている。

 それともう一つ、私は外見コンプレックスだ。背は低い、顔も怖い、オーラもない。いけばなの先生になるのだから外見は谷原章介か高橋克典みたいならなあ…とない物ねだりをする。つぎ生まれてくる時は反町か竹ノ内で、と願ったりする。身長も顔も変えようがないので、せめて弛んだお腹ぐらいはどうにかしようと思った。初めジムの効果をそこまで信じていなかった。たとえ減量してもすぐリバウンドするのではと諦めていた。この6年どうにか今の体型を維持している。別に外見を売り物にする訳ではないけれど、ある程度の緊張感はあった方が良いかなと勝手に正当化している。

  私は常にコンプレックスを抱えている。外見もそうだし頭も悪いなあと思う。何とかいけばなを教えるのに最小限の知識は持ち合わせているが、少し奥まった知嚢の世界は全く分からない。古今東西どんな質問をしても微笑しながら教えて下さった工藤昌伸先生の倦むことのない膨大な知識量を体感した最後の世代としては本当に心もとなく感じる。技術は祖父・父と比べると恥ずかしいくらいだ。そのコンプレックスが「何くそ」という思いにつながっていく。エリートに立ち向かうには「何くそ」という突き上げる情熱しかない。「何くそ」は上の者を追い抜く、いわば下剋上である。下剋上は言い過ぎでもエリートに追いつく仕事量はざっくり3倍だと思う。私は他のエリートの3倍努力しないと置いて行かれる。3倍努力すればギリギリ会議も理解できる。

 エリートに立ち向かった人々と言えば三角大福の田中角栄、長嶋茂雄に対比される野村克也、会社ならSONYや日立に比べ町工場から始まった松下幸之助、みんな何くそで乗り切ってきた人々だと思う。プロジェクトXも「竜馬がゆく」も多くの共感を呼ぶのは「エリートじゃなくてもこれだけの仕事ができたんだ。ならば私もやってみよう」という前向きにつながったのだと思う。

  後にのし上がっていく先代新藤華盛も最初から主流のエリートではなかった。その時その時与えられた仕事に全力で打ち込んできた人だ。 出征し上海の師団司令部の書記官となり、日中戦争が泥沼化する頃に帰ってきた。終戦とともに家元となった祖父は桂古流をどうにかしなくてはと苦心した。1949年に出版された「いけばな作品集」には戦後の混乱期でもいけばなの人気が手に取るように伝わる。GHQ占領下に上手く波に乗った流派の作家も掲載されている。その中で祖父はエニシダの立ち活けを五行控流しという桂古流の奥義を載せた。白黒とはいえ一色の古典花は地味である。いけばなの家元として芸術への叛逆が垣間見える。現代いけばなはGHQ将校夫人も競って習ったそうである。一方で古典花はそう簡単には浸透しなかった。技術的な点、花材の調達などの問題もあったろう。それでも立ちいけの美しさを広めていく祖父の生き方は何くその気概が見てとれた。

  私は祖父と父の遺してくれた人材や組織でどうにか生きているような人間だが一段上の格花に挑戦する時はやはり「何くそ」と気負う。まだまだ努力しなくては歴代家元に申し訳ないというコンプレックスを持ちつつ桂古流が大事にしてきた「普段なにげなくいける花の大事さ」を伝えていこうと次のステップに向かう。それには今まで活けてこなかった花材や花器など場面を柔軟に変えていく必要がある。時代と共に歩むには昔のままのエリートでとどまらず、コンプレックスを抱えながら次の時代が求めている物を探し求める。

 

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