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第百七十二回: 能動的と受動的

 下手でも心を打つものがある。上手でも興味を惹かないものがある。素晴らしい経歴の人が講演しているのに欠伸が出てしまう時もあるし、素人同然だったのにかけがえのない話を残す時もある。この差は何なのだろう。何に吸い寄せられていくのか。人間は表面的な物でない何かに反応している気がする。憶測でしかないが「やろう」という信念が感じられる時、人は耳目を集めるのではないだろうか。拙くても自分の言葉、自分のリズム、自分の組立で話すのが何よりも大事だ。

 絶対に行かせた方が良いと人に勧められ2人の息子を進学塾に入れた。子供も辛かったろうが行かせている親も辛かった。「頭が痛い」「トイレに行きたい」「シャーペンの芯がない」「プリントが見つからない」…子供たちはありとあらゆる言い訳をした。学校ではそこそこ出来ていても塾では上のクラスに上がれなかった。兄弟それぞれ一度は「やめようか」と諦めかけたことさえあった。厳しすぎるカリキュラムを恨むのは子供同様親も一緒だ。授業を終えヘトヘトになって帰ってくる子供たちを寒空の中、塾の前で待った。

 こんな事が子供の将来に役立つのかと不安になった冬、いつも無機質な情報が掲示されている壁に「志望校合格に挑む君たちへ」と題した模造紙がバーンと張られた。多分、手書きだった。筆で書かれていた。今までの苦しみ、理解できない辛さ、挫折して涙したこと、それを乗り越えたものが栄光をつかむことがギッシリ埋まっていた。それまで経営者の顔は見えなかったけれど、本気で塾をやっていこうとしている暑さが文章から伝わってきた。子供たちが苦しむのも最初から知っていたし、その上で乗り越える術を伝えようとしていた。最初は子供達が苦しんでいる塾を好きになれなかった。この一文を読んでから「これ程の情熱を持って指導しているならば信じてみよう」と思った。

 私たちは文面だけでなく字の筆圧、文字の間隔から感情や本気度を探る。声のイントネーションや震えから心の高ぶりや対応力から判断する。子供たちが通っている頃の張り紙には親を納得させるだけの力があった。塾生を何が何でも合格させる。努力した分栄光をつかませてやるという気迫がこもっていた。教えることに喜びを持っている指導者が揃っていた。塾の職員全体が「自分が中心だ」という自信に満ちていた。組織全体が同じ方向を向いている時はとても強い。上司の期待と部下の情熱がかみ合っている。何も指示しなくてもトップから新人までがやることが分かっている。

 世の中を見ると私より時代に即した仕事をしている人がいる。専門的な能力を高く保つ人もいる。しかし彼らが突然その職から離れてしまうことがある。店舗や事業所が急に閉じてしまう。私は驚く。なぜなんだ、原因はどこにあったか気になる。思ったほど稼げなかったのだろうか。周りから信頼され充実しているように見えたのに。

 彼らは自分でも気づかぬうちに「依存部分」或いは「やらされている」感があったのではないだろうか。常に自分で考え自分の責任で仕事に向き合っただろうか。家業だから、友達が成功したから、社会的地位があるから、他にやる事見つからなかったから。最初は「なんとなく」でも良い。私も最初から伊勢丹が好きだったわけでないし、いけばなに情熱的だったわけでない。でも自分なりに工夫して自分の居場所、得意分野と出合い、思い通りに進むには能動的でなくてはならない。自分で決めたことならば、手段を変え仲間を変え時に縮小し場所を移し下げたくない頭を下げそれでも挑み続けることができる。

 人は誰でも挫折する。致命的な失敗や思いもよらない大災害に巻き込まれる。命あっただけ良かった。仕事は「こりゃあもう無理だな」と肩をすくめたくなる時がある。能動的に生きてきた人はここでも自らすすんで現状を把握し、次回成功するにはどうすれば良いか考え始める。努力は決して裏切らないし不安に勝つ唯一の方法だからだ。そしてまた一から積み重ねる。能動的な気持ちを失わなければ人はいつでも前に進むことができる。

 

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