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第百七十三回: 下活けと本番

 私は展覧会の作品制作において必ず下活けをする。古典花であろうと現代花であろうと制作の順序は同じである。誰かに強要されたものでもないが、昔からそのように進めている。
 まずは絵をおこす。私の制作は絵からである。紙とペンを握り頭の中をできるだけ空にして出てくるのを待つ。あまり追い込まないで適当に出てくるのを待つ。出てこなければその日は諦める。大抵1日から2日で思いつく。この仕事に就いて長いから、思考回路がそのようになっているのだろう。この話は以前に書いた。

 今回のテーマは下活けである。私はあまり人前でも構わず下活けをする。お稽古中にしてしまうこともある。偶然その様子を見た門弟の方が「家元の下活けを見られて幸せだ」と言ってくれる。そう思ってもらえて私も嬉しい。しかし下活けは下活けである。展覧会の完成形とは違う。下活けは骨組みや強度のテストを重視している。バランスや構造のチェックを大事に考える。単純に言えば「これ、本番でひっくり返らないよな」ということである。
 だから頭で考えて手で活けているだけである。気が入っていない。気が入っていない花は人をひきつけない。これは確かなことだ。まして教室は門弟の方もお稽古に来ているので、他の人の作品を眺めている余裕がない。しかるべき場所に飾り、作品を見に来た人に対しては、活ける本番とは違う。
 コンサートのゲネプロを見学して喜んでいる人がいる。私は気が入っていない物は見ても詰まらないと思う。演者が楽しんでいないのだ。他人が楽しいはずがない。

 同じ活けこみでも本番の時は出ているエネルギーが違うのだろうか。かつて大磯で陶芸家と合作展をしたときは、自分でも怖いくらい人を惹きつけているのが分かった。
 大磯迎賓館は二階に上がらないとその良さが分からない。二階に上がり開け放たれた窓から水平線を眺めた時、どうしてここに建てられたか悟る。素晴らしい場所に活けることを許され、私は嬉しさにジッとしていられないくらいだった。場所によっては普通の活け方にしようと思ったが、迷わず富士流しを活けることにした。大磯迎賓館の窓の外に見える水平線、その上に富士を描きたかった。
 私に気が入った。私と花と水平線しか存在しなくなった。富士の完成度がこの花の命である。慎重さと大胆さと交互に指先に伝える。富士が出来上がりフウッと息をはいた時、後ろから歓声が上がった。振り返ると十数人ものギャラリーが、固唾をのんで見守っていた。そのうちの一人の男性は私がいけるというので他県から駆けつけてくださったという。そして「このような素晴らしい花を拝見できて幸せでした」と写真をたくさん撮って帰られた。

 夜はデモンストレーションだった。大勢のお客様がいた。しかし私の中には花と私の世界ができていた。気が入ると色々なアイディアが浮かんでくる。デモンストレーションの枝に可愛いつぼみが体の枝についていた。私はそのつぼみを主役にするつもりでいた。活けおわるとほんの少し芯から外れていることに気が付いた。可愛そうだが切ることにした。その瞬間アイディアが浮かんだ。お客様に向かい「このつぼみは大変綺麗で今日の作品の主役です。しかし少しずれています。残念ながら切らざるを得ません」と伝えると一様に落胆の声が聞こえた。私は続けて「では切ります。陶芸家の先生にお手伝いお願いします。」と言い切り落とした。そして切ったつぼみを彼のポケットに入れた。「今回素晴らしい器を作られた先生の元で咲いて頂きます」というと皆大喜びで拍手した。次の日、陶芸家から「新藤様、咲きました!」と喜びのメールが届いた。

 

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