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第百七十四回: 祖母の石鹸

 私たちの本部教室のあるAPEXと同時期に開発が始まる予定だった浦和駅西口再開発がやっと始まった。ざっと20年遅れである。再開発は色々な思惑が交差するので一筋には行かないが時間がかかったのは事実である。決まったとなれば動き出すのも早いもので閉店のご挨拶もそこそこに開発地域があっという間に白い金属の塀で囲まれてしまった。慌ただしい流れの中で知人から再開発の兼ね合いで2階を貸してほしいと頼まれた。前向きに検討することとなった。コロナ禍で2階の教室より3階の広い教室を使った方が生徒さんも安心かと感じた。2階から3階に教室を移すといっても20年ぶりの移動である。中々に大変なこととなる。

 職場を常に整理しておけば苦労はしないだろう。私だけなのか、どの会社・店舗・役所でも苦労しているのか。始める前からうんざりしてしまう。もちろん私だけでなく家内・長男・次男・助師さんと様々な手を借りて今日はベランダ、次は事務室と一つずつ進めている。2階の水道の横にアコーディオンカーテンで閉められている納戸というか資材置き場がある。ここは定期的に助師さんが片付けてくれるのだがそれでも乱雑になる。上の方の荷物が取れないと引きずり下ろすようにするからで上に再度荷物が置けないままになる。床にも様々な資材や書籍、花留め(ハズ)の入った箱が我が物顔で陣取っている。包装紙や紙袋、ワイヤ、など捨てるかどうかの判断をしなくてはならない物がある。会長に尋ねれば全て残しておくと応えるし、私は跡形もなく捨ててしまう。助師さんも気の毒である。どう考えても使用期限を過ぎた物は捨ててもらうことにした。折れ曲がり変形したラッピングペーパー、埃をかぶったビニール風呂敷、マット、変色したプラスチック製の容器などは片っ端から捨てた。数年前にも捨てたよなあと思いながら今回も一まとめにした。

 下の棚を片していると不意に重い箱が出てきた。5キロ、いやもっと重いか。何が入っているのだろう。外箱は相当古いので平成でないような気がする。とすると40年前に建てられた桂古流会館からか。引きずり出して中を覗くと石鹸がギッシリ詰まっていた。その瞬間祖母の顔が目の前に浮かんだ。この箱の持ち主は間違いなく祖母だ。パッケージのデザインも懐かしい。CAMAY、牛乳石鹸、資生堂、LUXなど100個以上あった。

  私は懐かしい気持ちになっても微笑ましい気分になれなかった。祖母は戦時中から戦後の物不足で特に石鹸には苦い思い出があった。銭湯に行った際に石鹸を盗られたらしい。物がないので盗られるともう無い。体が洗えない。注意していても数回盗られ何度目かには泣いたそうだ。それ以降祖母の石鹸収集は始まった。私が幼い頃から家内と結婚する直前、祖母が亡くなるまで浴室の戸棚は半分が乾いたタオル、半分が石鹸と綺麗に分けられそれぞれが「備蓄」されていた。祖母の収集の根底にはいつまた戦争が始まるか分からない恐怖、そうなった時には自分達で身を守るしかない辛さ、悔しさがあったのだと思う。私にはどんな言葉より重い戦争体験に感じる。そんな話を教室でしたら「うちは砂糖でした」「うちは床下からサラダ油が」と皆さん物は違えど集めていた物があったようだ。石鹸は古くなると香りもしないし泡もたたない。砂糖は固くなってしまう。サラダ油は酸化してしまう。期限を過ぎた物は劣化する。しかしそれでも貯めずにいられなかった切なさ、彼女たちの行き場のない怒りはどれほどだったのだろう。その心を後世に伝えるのはとても難しい。

  いけばなの世界には歴史のある唐金の花器はほとんど残っていない。残っていてはいけなかった。戦争中に供出させられているからだ。祖父が上海に書記官として出征している間、五代目星野先生が押し入れの奥に隠して下さった唐金が残っているだけだった。その一つだけでも星野先生は見つかるかもしれない恐怖と、之だけは残してやろうという気概と、どんな思いだったのだろう。祖父が必ず戻ってくると皆が信じていた。信じるしかなかった。桂古流がギリギリの細い糸でつながっていた時代だ。

  戦後の混乱期については父華慶がコンコンと私に話した。同じ組にお弁当を持って来られない子がいて庭で石を一人で蹴っていたというエピソードは何十回聞かされただろう。その言葉の裏には「お前のぬくぬくしたその生活は本当に運が良いだけだ。時代や地域が違っていたらどんなに願っても叶わない幸せだ」と言いたかったのではないか。父の時代は家柄や経済状態に関係なく本当に物がなかったという。父は四人兄弟で全員大学卒業している。当時としては裕福な家庭だと思う。それでも小さい時どうにかしておかずを他の兄弟より多く食べたかったと話したことがある。努力して生活に困らないようにならなくてはという思いがいつもある人だった。亡くなる頃突然「浩司、お前は馬鹿だから私が作った組織や経理方法、資産管理は一切変更するな」と言われた。そうなのかと思い未だに変えていない。

  祖母は石鹸にこだわったが教育には熱心だった「浩司、資格は無くならない。盗られることもないし、逃げも裏切りもしない。重くないし腐らない。資格を身につけておくのが一番だよ」と諭した。お弟子さんがお免状を取得した時にこのエピソードを話す。石鹸の事は言わないが。


 

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