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第百七十五回: 色のある幸せ

 いい加減な人間なので物事を深く考える癖も余裕もない。ふと我に返った時、自身の中に何があるのか考える時がある。

 浮世の役職や肩書は数年経てば変わってしまう。政治や会社のトップでバリバリ働くキャリアは勿論、それぞれの職種のハイスペックを目指している人のご苦労は大変だと思う。私は能力以上の役職を頂戴しているので感謝こそすれこれ以上は求めない。
 財産は桂古流はじめ事業を運営したり、家族を養い流派を守るものだ。個人資産はよく分かっていない。しっかり仕事をして、食べるのに困らない程度の給料をもらえれば十分だ。個人資産運用や投資のお話を頂くが、遠い国のお話を聞くようでボンヤリとしか理解できない。私でなく他の人にお話し頂けますかと言ってしまう。
 健康においては父華慶が腰痛持ちで苦労していたので、生徒様のお稽古に支障をきたさない程度の体力をつけ、子供が社会的に独立するまでは元気でいたい。一方でその日その日与えられた仕事を精一杯こなして寝る時に、今日も良く働いたと思えればそれで良い。

 運よくここまで生活できたのは歴代家元と素晴らしい生徒様に恵まれたからに他ならない。私の実力を考えれば大成功の人生である。その大成功の私は何色だったのだろう。ふと気になることがある。何色に導かれ何色に夢中になってきたのか。やはり私は「いけばな色」の人間なのだと思う。いけばなを通じで出会った人々、桂古流だから歩むことができた人生、その過程で身に着けた知識や技術などで私は構成されている。多くの人々との何気ない会話にこそ珠玉の叡智が潜んでいる。その積み重ねで私の色は濃くなる。様々な局面での対処の仕方、押すか、退くか、留まるか、離れるか、それにより次の、次の次の段階で何が起きるのか、自分の立ち位置がどう変わるのか。それは事前に考えるのではない気がする。その場になった時自らの色に従おうと思う。

 色はアイデンティティとは少し違う。徐々に自身が変化していく。努力すれば色は深く染まるし、何もしなければ、たちまち色褪せる。他に何の取り柄も資格も能力もない私がいけばなという色に出合えたことに幸せを感じる。楽しみながら、しがみ付きながら、一段もう一段と上を目指せたのは運もあるが上手に染まったからだ。
 人はそれぞれの色を持っている。その色にどこまで深く染まるか、人生の楽しみは豊かな色があることだろう。私くらいの年から趣味を始める人がいる。素晴らしいと思う。自分に相応しい色を見つける時間ができたのだ。その色を通して見る仕事や家庭は違った魅力を教えてくれるに違いない。自分も笑顔になれる色、周りも笑顔にできる色。笑顔色の伝播の中心に自分がいるのはとても幸せだと思う。

 マイナスについても同じことが言える。人が生きていれば避けることのできない負の場面、挫折・失敗・謝罪・逃避、、、をいつまで引きずっていても仕方ない。起きてしまったことは元に戻せない。そこから前に進むには同じ色の人々と語り合うことが何よりだ。同じ色の人と語り合うことがもう一度進むきっかけになる。
 だから良い色に出合ってほしい。染まって欲しい。趣味もスポーツも書籍もペットなど、様々なものが人を良い色にする。桂古流も多くの人に良い色を届ける存在でありたいと思う。

 

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