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第百七十七回: なんと豊かな時間

 私の理想は自身を取り巻く環境に対しどこまで客観的に把握し、多くの人に伝えられる事ができるかという事に尽きる。目で見たもの、香りを嗅いだもの、口で味わったもの、手で触れたもの、耳で聴いたもの、それらをどこまで人々に伝えられるか。感動の位置、深さ、時間を正確に共有できるか。その試行錯誤のために拙い文字を綴っている。写真学科では広告写真を選択したが、報道写真がありのままの姿を伝える意義は学んだつもりだ。今回は起承転結を考えずに見たままを記してみたい。

 この数年間、思うように旅行もできず、飲み会も開けず、何にもできなかったと言う時に植物を感じながらの散歩をお勧めしたい。植物を眺めるだけでも心の豊かさが変わるように思う。自然でも人工でも植物にとっては存在できれば良い。環境が合えば植物は繁殖する。私たちは本当に多くの植物に囲まれていることに気付く。
 一歩外に出てみよう。何気なく歩いていると近所の公園に出くわすだろう。公園には木が生えているか、草があるか、両方か。木の下には木陰がある。空調とは比べ物にならない涼やかな風が吹き抜ける。ぜいたくな気分に浸れる。草地も良い。その緑に目がホッとする。綺麗に刈り取られた草の上に荷物を放り出して座るのも解放感に浸れる。裸足で感触を楽しむのも良い。草いきれも夏らしい。公園のように整備されていない空き地に逞しく伸びる草花。こういう雑然とした原っぱに胸躍らせるのは幼少期の記憶に繋がるからだろうか。葉をかき分けながら走っていた頃を思い出す。枝に絡まった蔓をみるとアーアと思いながら、そのエネルギーに感嘆する。池には睡蓮が花を咲かせる。朝に美しく咲いていても午後には閉じてしまう。池や川の際に緑があると清々しい。水面に映る葉の表情は心を瑞々しく蘇らせてくれる。休耕田にはカキツバタや菖蒲が植えられている。泥の中からハッとする花姿が群生している。住宅街にも草木の見どころは多くある。手入れされた庭木には自然の枝と違う魅力がある。庭師の技が光る。垣根もコンクリートでなくマサキやツツジなどで作られていると家の風格が感じられる。街路樹が椿と金木犀の交互に植えられている。一年中植物が楽しめる。桜の回廊、ケヤキ並木もいい。立派な松を大事にしている邸宅、泰山木は大きくふっくらした白い花が芳しい香りを漂わす。
 散歩ができなくても、日常生活にも植物とつながる。買い物ついでに花屋をのぞく。花屋でなくスーパーの一角でも時期の花が顔をのぞかせる。オフィスや学校もお花が飾られている。観葉植物の所もある。療養施設の受付に置かれた一輪挿しも優しい気持ちになる。
 大事な時に花もある。来客がある時は楽屋に花を飾ったのは中村吉右衛門だ。鬼平は心優しい。デートの日に男の子が花束を持って告白する。応援したくなる。大切な人との思い出も花とともにある。
 そしていけばながある。お稽古しながら植物に触れる歓びに浸る。種苗業者がいて、生産者がいる。流通では市場、卸業で働く人々から小売業者が仕入れる。花が私たちの活けられる状態になるまで多くの手間がかかっている。

 植物に囲まれる場面を思いつくままに羅列してみたら、自身がなんと豊かな時間の中にいるのか改めて気付かされた。

 

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