桂古流いけばな/活け花/フラワーアレンジメント/フレグランスフラワー

ホームサイトマップ
 

第百七十八回: 味わうにも得手不得手がある

 恥ずかしながら俳句の味わい方、どこに面白味、深味を感じれば良いか、鑑賞の仕方が下手だ。和歌や詩などは鮮やかに情景が浮かび上がるのに五七五となると掴み切れずに終わってしまう。淡い虹を見るようで全貌がはっきりするまえに消えてしまう。意味が分かっても面白味が理解できなくては俳句を味わったことにならない。「遠き人を北斗の杓で掬わんか」という橘高薫風の句も田辺聖子の文章がなかったら心にとどまったかどうか。
 日本酒とワインもよく分からない。祖父は剣菱の黒松を愛したが私は日本酒が合わないらしく頭が痛くなる。ワインもグラス1杯は付き合うが味わうには程遠い。他の酒類は飲めるのだから、不得手なのだと思う。
 靴がおしゃれな人は本当にファッションに通じていると言われる。残念ながら靴も無理だ。甲が高く幅広い足型に加えて内股なのだ。革靴は痛くなり数時間経つと脚だけでなく頭も痛くなる。申し訳ないが運動靴で失礼することが多い。
 どんな趣味趣向でも味わうことができるのは人生を豊かにしてくれる。絵画でも音楽でもスポーツでも、味わえることは日々の生活を彩っていく。

 職業柄、花切鋏は味わう機会が多い。贈られたり、求めたり、試作品が届いたりする。燕三条の鋏は故・今林先生から頂いた。私にはやや重いが、しっかりした形で安定感がある。土佐の鋏も求めて買った。一つ一つ手打ちで仕上げるとのことで、機械仕上げにない温かみがある。
 日本橋の木屋に卸していたのは花切鋏製作の第一人者、國治さんである。本名は違うが屋号が國治なので自然とご本人も國治さんと呼んでしまう。硬い椿も柔らかい葡萄の実も同じ鋏で綺麗に切れるというのは本当な話だ。國治さんの鋏を使うと他の鋏は握れないと誰もが言う。本当に良く切れた。今でも無理にお願いすれば打ってくれるがかなりご高齢なので、お願いするのも躊躇してしまう。祖父が國治さんの鋏をこよなく愛し、父、私、白龍と4代に渡って愛用している。
 古流協会の先生より紹介されたのは悦郎さんだ。國治さんの弟である。國治さんは桂古流御用達の坂東商店より桂古流独特の鋏の型を預かっている。型にはめて鋏を合わせ仕上げるので、その型がないと鋏は打てない。いけばな仲間の忘年会で親しくなるうちに悦郎さんが私に楔ノコギリを作ってくれた。恐ろしく良く挽けるノコで痛い位尖った楔が作れる。
 國治さんはお兄さんらしく堂々としている。祝賀会や展覧会でもゆったり構えている。何かの記念に鋏を打ってもらうと本当に嬉しいが、もったいなくてなかなか使えない。桂古流創流150周年で白龍が副家元になった際、國治さんから銀の鋏を贈ってもらった。悦郎さんは可愛げがある。桂古流展の会場で入りたそうに右往左往していたことがある。家内が「悦郎さん何をされているの?早く入ってくださいな」と促すと、親子ほど年下の家内に「だって俺、入場券ないんだよ?いいのかい?」と半分照れながら嬉しそうに入場して作品を観て回った。そのあとお礼に京子は悦郎さんから古流鋏をもらっている。唯一の悦郎作古流鋏は京子所有となった。悦郎さんは他に一風変わった花切鋏を創作している。紙切鋏のようでシャープな形状だ。玉兎が愛用している。白龍=國治、玉兎=悦郎となっているのはそれぞれに味わいが違ったのだろう。
 祖父、父、私自身が使っていた國治は全部で手元に10丁はあるだろうか。結局もったいなくて使っていない。どれも思い入れがあり、一人で握ってはニヤニヤしている。貧乏性だなと思う。
 現在、私は坂東商店が勧める天光が気に入っている。國治よりやや重く、しなやかさ、切れ味、丈夫さどれも私にはピタッとはまる。現役ならではの「活きの良さ」が道具にも感じられる。

 私の指の延長でいてくれる花切鋏を味わっている時間は至福の時だ。そうして出来上がった私の立ち活けを味わって下さる方がいる。私の立ち活けは國治や悦郎、天光と同じように多くの人に幸せを届けられているか、一つ一つの作品に気を引き締めながら活けなくては、と思う。

 

バックナンバー>>
桂古流
最新情報
お稽古情報
作品集
活け花コラム
お問い合わせ
 
桂古流最新情報お稽古案内作品集活け花コラムお問い合わせ
桂古流家元本部・(財)新藤花道学院 〒330-9688 さいたま市浦和区高砂1-2-1 エイペックスタワー南館