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第百七十九回: 捨てる

  会社の時の先輩はとても気前が良かった。Yシャツやコート、CDなど20代の私にとって欲しかった物を色々とくれた。可愛がって下さっていることに感謝しつつ「ほとんど新品なのにもらって良いのだろうか」という戸惑いもあった。その人の生活スタイルは「1つ新しい物を買ったら1つ古い物を誰かにあげる」という方針と聞いた。(先輩にとって古いという基準なので私には全く問題なく着られたり使える物ばかりだった)部屋の中の荷物はいつも同じボリュームという事だった。
 私の祖母はもう少し踏み込んで「要らない物は片付けな」としばしば言った。読まなくなった雑誌や古い玩具などは容赦なく処分した。子供心に「あーあ」と思ったが、片付いて広々とした部屋はとても気分の良いもので私も見習うことにした。私にとって要らない物は何だろう。踵の擦り切れた靴下、折れたエンピツ、よれよれの肌着、固まって出ないボンドなど片っ端から捨てるようにした。

 捨てる時どのように捨てるかという問題もある。20代の一時期は祖父母の遺した家に住んでいた。祖父母の遺品で私が必要としない物は塩をかけてから捨てた。亡父は几帳面な性格だったのでアルバムも仕事用と個人用に整理されていた。個人用は旅行の写真がほとんどで背表紙には行き先と年月が記されていた。父は旅行以外に楽しみのない人だった。忙しい時はアルバムを見て思い出に浸っていたのかもしれない。父が生前の楽しみに取って置いたものだから、いつまで残しておいても仕方ない。父が写っていない、ただの風景写真は捨てた。また百科事典や美術全集は図書館に寄贈した。昔は高かったろうに今見るとドットも荒く色調も悪い。取って置く必要はないかなと考えた。本は重い、持っていて悲しくなるほど重い。特に画集は紙質が良く厚いので運ぶには色々知恵を使う。自動車で図書館の建物ギリギリまで寄せる。そこから台車に移して運んだ。少しの坂や段差が信じられない障害となって行く手を阻んだ。窓口まで届けるとフウフウ息が切れた。書籍はなかなか捨てられない性分だからこの様な苦労しても寄付するしかなかった。
 教室の備品でも役目を終えた物は捨てざるを得ない。針のなくなった剣山、水漏れのバケツなど何故か取って置く風習があった。教材でも直せない物・役目を終えた物は取り換えるしかない。使い切って壊れた物は「今までありがとう」と感謝して処分する。

 阿川佐和子や檀ふみが家族の荷物整理をする時捨てなくちゃ・・・でも捨てられないと葛藤に苦しむエッセイがある。分かるような気もするが私は「物は物、思い出は思い出」なので躊躇はしない。自身で感情がなさすぎるのかとも思う。けれど言い訳を許してもらえれば華道家元の身の周りは年代物の品に囲まれて生きている。これは〇代目の花器だからとか◇先生の書だからと絶対に残さねばならない物だけでも結構な分量になる。私的な物は感情をこめずにバカスカ捨てるしかない。処分の基準は「桂古流家元本部にとって必要か」「残しておくことが生徒様のためになるか」だけになる。法人書類は5年間保管して機械的に処分する。
 私の個人所有物は何だろう。そんなには多くない気がする。鞄、ネクタイ、万年筆くらいか。それらを息子兄弟で分ければ、ほとんど残らないと思う。
 私が個人の品を捨ててしまう分、白龍は捨てない。私が捨てようとすると「何でも捨てるものではない」とたしなめる。幼児期の写真は自身で見ていても可愛くない子供なのでかなり捨てた。卒業アルバムは高校しか見当たらない。私が父の写真で苦労した分、私の時は子供に楽させようと片付けた。

 いけばなも花が傷んでくれば処分する。大きく活けていた物を小さく活け直しても良い。残った花を一輪挿しにするのも気の利いた使い方だ。枯れたまま残すのは恥ずかしいので水替えにも気を配る。活ける事と同じくらい捨てるタイミングは難しい。

 

 

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