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第百八十回: 合言葉

  どうでも良い事なのだが昭和の昔、ごっこ遊びをしている時、扉のこちらと向こうに分かれて仲間か敵か確認し合った。合言葉である。その場で思いつく他愛もないものだ。「一」「十」「百」「千昌夫」とか「尾張」「名古屋は」「白黒抹茶」「あずき、コーヒー、ゆず、さくら」などCMもからめながら言い合った。段ボール箱で子供が入れる位大きいサイズを秘密基地にして、箱を外からトントンと叩くと、中の者が「誰だ」と言う。外の者は「俺だ」と言う。すると中の者が「合言葉を言え」となって上記のパターンとなる。誰もいない駐車場をクルッと回って「警備任務完了!異常なし」なんていっぱしの秘密部隊の隊員を気取っていた。

 息子達が小さい時に一緒にやっていた事がある。自動ドアの外と中のインターフォンに分かれて合言葉を言った。段ボールに比べると平成生まれは、なかなか現代的になった。やっていることは同じである。「開けて」「合言葉は」「山」「川」「豊」「のお兄さんは」「鳥羽一郎」言えないと自動ドアは開かない。

 夫婦でも合言葉がある。自動ドアではないのだが何かに迷っている時、片方が言う。昔は私が家内に言っていたのに最近は家内に言われることが増えてきた。「世の中には正しい結果をもたらす正しい選択もあるし正しくない結果をもたらす正しい選択もある」という言葉だ。私は村上春樹の短編で知った。似たような場面は色々と起こる。例えば三国志。曹操に情けをかけ討ちとることが出来なかった関羽に対し孔明は法に則り罰しようとする。その孔明に許しを乞うたのは外ならぬ劉備だった。正しくない選択から正しい結果を導き出したエピソードである。私が強硬な意見・態度に出ようとした時、家内から窘められる。私が言おうとすると「あのね」と前置きされ伝家の宝刀の合言葉「世の中には…」が出る。教えたのは私自身なのでぐうの音も出ない。

 もう一つはラジオ人生相談で加藤諦三が冒頭に語った言葉だ。「変えられる事は変える努力をしましょう。変えられない事は、そのまま受け入れましょう。起きてしまった事を嘆いているよりもこれからできる事を一緒に考えましょう」と言う。普段の何気ない時に聞いていれば「フンフンなるほど」と思う。しかしパニックになっている時は「何を悠長なことを言っているんだ」と腹が立つ。何故パニックになるか。自分の力ではどうにもならない事実を突きつけられる、或いは知らないうちに信じていた周りの者により足元をすくわれる。それでも理想を追い求めてしまう事で現実との乖離が生まれ、その限界点を超えた時に人はパニックになる。周りに迷惑をかけ、病院のお世話になり、酷ければ犯罪につながる。私たちはそれがどれほど理不尽で辛くても目の前の現実を受け入れるしかない。そして前に進むしかない。自身より成績の悪かった者、自身より仕事のできなかった者、自身が育ててやった者、そういった者が自身より上の立場に立つことは受け入れがたいことだけれど、時は残酷だが平等に流れている。そして努力している者には好悪関係なくチャンスが巡ってくる。多分加藤諦三はそう言いたかったのだと思う。これも夫婦での合言葉になっている。

 私自身に語る合言葉は「お稽古に来た人に最高の時間を」と戒めている。いけばな教室で家元はいけばなを教える。当たり前のことだ。話として派手さはない。来た人が安心納得する教室、そして家元である事を合言葉にした。今日もお稽古に来て良かったと生徒の皆様の笑顔が何よりのご褒美だ。昨日、今日、明日と全てが最高の指導であるように。私は家元として仕事をこなしているのかという歴代家元に対し合言葉に応えるのは難しい。

 

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