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第百八十二回: 酔って聞いてはいけない曲

 父が亡くなってわがままを言える相手がいなくなった。父が指導していた生徒様のご要望にできる限り応えよう、少しでも頼りがいのある存在になろうと私なりに努力した。毎日夢中に生きてきて私はわがままを言える存在がすでにいないことを忘れていたらしい。私に家元は荷が重い役柄だったなと50も半ばになって思ったりする。
 最近涙もろくなった自身が嫌いだ。数年前まで冷徹とか無感情とか家族から揶揄された。そうならざるを得なかった育てられ方も災いした。家族が愛情だけで一つになっていると思ったら大間違いだ。それだけでは済まされない負の部分も抱えている。

 日常に祖父母という避難場所があったことに感謝しなくてはならない。祖母が事あるごとに「お前にしてやったことは私に返すんじゃない。次の世代に施してあげなさい。」と言っていた。あの顔が忘れられない。普段は全く思い出さない。有難いことに業務・仕事・やるべき事が毎日押し寄せてくる。朝から仕事を精一杯こなし、ふと時計を見ると夕方になっている。幸せだな、充実した人生だなという思いの間に、素の自分が垣間見える時がある。祖母や祖父が心配してくれた「お前小遣いあるのかい?」「足りないときは恥ずかしがらずに言いよ」という声が耳に蘇る。明治生まれの祖父母は学歴がある訳ではない。教養と言ったところで英語やテーブルマナーなど識るよしもない。でも私にとって掛けがえのない唯一無二の大事な祖父母だった。いまだに祖父母の「浩司お金あるか」という声は蘇る。経済的に困ってもいなくても胸が押し上げられ涙ぐむ。

 酒に酔っている時、聞いてはいけない歌はさだまさしの「案山子」だ。RCサクセション「あの歌が思い出せない」やユーミン「ダウンタウンボーイ」やあんなのこんなのが数限りなく出てくるけれど酔っている時の「案山子」はいけない。感情が理性を飲み込んでしまう。
 この年になってなんと恥ずかしいとか考えられなくなる。「寂しかないかお金はあるか今度いつ帰る」って殺し文句3つも並べられたら、子供の頃に甘えていた祖父母を思い出さずにいられない。祖父母からもらった小遣いは温かかった。じんわりとぬくもりがあった。亡くなる前意識が朦朧とした祖父が「浩司、今月の小遣い渡していなかったな」と空の財布の中、在りもしないお札を数える姿がどうしても頭から離れない。

 畑正憲というエッセイストがいる(敢えてムツゴロウとは言わない)。彼の文章に常軌を逸したものがある。彼は愛情豊かな反面、恐ろしいくらい冷たい男である。物事をコンピュータのように分析する。普段は字数まで計算された起承転結の文面である。そんな完璧に近い頭脳を以てしても愛する犬、豚(!)熊(!!)の話になると感情が荒れる。整い過ぎるほど構築されたセンテンスが乱れに乱れる。しかしそのような彼の文章が私は嫌いではない。感情を読者に叩きつけてくるならば感情で受け止めて打ち返してやろうとページをめくる。論理的に処理できるものはない。

 無償の愛は祖父母そして押し切られるように父に伝わった。私の知らないうちに父は家内と喫茶店に行きお茶しながら外から入った人間の苦労を分かち合おうとしてくれた。きっと家内は次の代に受け継ぐだろう。それだけで父には感謝してもしようがない。祖母が「浩司きっこちゃん(家内)のこと離すんじゃないよ」と亡くなる前に言われたことも深く胸に残る。私と家内、京子の結婚は家族中が頭脳を超えた感情とか無意識下の本能に近い部分で認められて結論付けられていった。家内の父母にとっても私は不満だらけの婿だろう。華道などで大事な娘を養ってくれるのか悩んだであろう。でも認めてもらえた。温かな愛に包まれて私たちは結婚した。新婚旅行で色々のお返しとして父にハンティングワールドのバッグを贈った。照れくさそうに受け取った父は一度大事にそのバッグを使い「ありがとう、一度使わせてもらいました」と私に返してくれた。

 物は物でしかないし、金は所詮金でしかない。けれど大切な人が心配してくれた物や金は違う。愛や温もりや心配がこもっている。
 さだまさしも案山子を歌う人もそれを聞いて泣く人も同じ思いを人生でしてきたのだと思う。

 

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