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第百八十七回: 氷の眼

 私は本当に自身に甘い。腹立たしいほど甘い。「仕方ないよ」「ちゃんとやっているじゃん」「俺が悪いわけじゃない」と甘やかしてばかりいる。着る物からしてだらしない。ネクタイ・ジャケット・革靴は苦手だ。元百貨店員にあるまじき発言である。さらに50代も半ばを過ぎ、タガがすぐ緩む。恥ずかしいので自ら監視を怠らないようにしている。それでも「忙しいのだから適当で良いか」と言い訳をして失敗を繰り返す。律するというのは甚だ難しい。

 自身に生活と同様、いやそれ以上にいけばな作品は厳しく見なくてはならない。家元の作品は個人作品ではない。私の古典華が寸法・取り合わせがいい加減だと多くの人に迷惑がかかる。評判を保つのは難しいが落ちるのは一瞬だ。活け込みからあげ花まで展覧会の間は、常に作品も活けている私自身の姿勢も人目にさらされている。

 意地の悪い考え方をすれば、面と向かって、他人は褒める事と慰める事しか言わない。裏で何を言われているか、自身では知る由もない。他人から「仕方ないじゃない」「ここまで出来れば大したもの」という声をかけられたら失敗したと思う。辛い生き方だが、私は最も酷い状況に陥った事を心の準備として構えている。そうならないよう一番きつい言葉を自身に突き付けている。作品についても枝の撓めが弱い、葉の量が多過ぎる、根元が一つになっていない、といつも自分にとって一番厳しい批評家でいようと思う。

 私の伯父は桑原守二という。電電公社に入り、社費で大学院に通った末に博士号を取り、真藤総裁の懐刀となり、最後はNTTの副社長になった。伯父は普段接していても決して威張ることなく、何にでも興味を示し、穏やかな人だった。頭脳明晰で美男でダンス、囲碁が得意と多趣味だった。その叔父が新藤花道学院の理事を引き受けてくれた時期がある。マイクロ波の権威であり、docomoの創設責任者であり、日本とフランスから叙勲した伯父には、父・華慶も頭が上がらず、何を言われても「ハイ」と返事をしていた。優しい伯父も学院理事会の書類が揃い、理事会を開催すると表情が一変した。企業のトップで永年戦ってきた顔になった。予決算について、学院運営について、諸官庁との関係について、ズバスバ質疑された。あやふやな点は見逃さず、その一つ一つが的を得ていて重要な意見だった。伯父がどれほど厳しい世界を生き抜いてきたか垣間見た気がした。

 私にとっていけばな作品を展示する事は実務や営業の意味合いも持つ。作品の良し悪しは、自身の評判だけでなく桂古流一門の誇りやモチベーションにも影響する。「桂古流を習っていて良かった」と思って頂けるよう仕上げなくてはならない。その為には独りよがりの作品ではなく、自身を審査する眼にならなくては花型がブレてしまう。「どこかおかしくないか、何か間違っているのではないか」と氷のような冷たい眼で見続ける事が家元には求められる。それと同時に「必ず良い立活に仕上げる」と熱い眼も持ち合わせなくてはならない。冷静と情熱の双方を持つことになるが、その比率は、展覧会では情熱6冷静4くらいで、研究会では情熱4冷静6となる。冷静に見ると自身だけでなく歴代家元の作品でも疑問が湧くこともある。教え方や時代の流れなどで判断に迷うこともある。そういう時は「今、生徒の皆さんは何を求めているか」を基準とする。家元というのは常にブラッシュアップし続け、最高の判断をくだせる存在だと自身に言い聞かせる。

 私が考えた事も未来には古くなり、白龍たちにバージョンアップされる日が来る。それが当然だと思うし、次世代の大きな仕事だと思う。技術・知識は完全無欠ではない。その時その時で、時代の傾きや世論の偏りを汲み取らなくてはならない。

 私は家元である限り常に冷たい眼で自身の作品を見つめ、考え、疑い、結局元に戻したりする。批評し、己を締め付けるもう一人の自身と問答を繰り返す。

 

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