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第百八十八回: くだらないと笑い飛ばす

 図太く生きていく事が大事だ。自らをあまり追い込んだり責める事はないし絶望する事もない。「人生の一大事なんて他人からしたらどうでも良い話」というのが私の持論だ。

 小説からのエピソードだ。森鴎外が妻と手をつないで陸軍の敷地を歩いた。周囲は怒り出し「けしからん、森を罰せよ」となった。騒ぎを聞きつけた山形有朋は「ふん、林太郎のする事じゃ。捨てちょけ」で済んだ。組織の上に立つ者の一言で物事は大袈裟にも穏便にもなる。

 20年前の事だから勝手に時効だと思う。当時私はいけばな公募展という団体の責任者になっていた。学生時代から出品していた展覧会で120作品くらい出品され浅草の産業貿易センターの1フロアーを使っていた。通常のいけばな展と大きく異なり縦横180cmのスペースを与えられた。会場の躯体を傷つけたり、公序良俗に反する「ギリギリ」まで認められた展覧会だった。出品するのは楽しいが、事務局として運営を任されるのは大変だった。作家が要項を守らないなど日常茶飯事で、注意すると逆に喰ってかかる輩もいた。

 予算も少なく毎回収支五分ならば御の字だった。会計責任者はA先生だった。学校の教員をされていて本当に真面目だった。私のようなザルで何でも企画だけ立てる人間には、強力なブレーキ役が必要と前任の責任者がコンビで任命した。A先生は私がお金のかかる企画を立てると支出が増えないよう求めた。会計責任者としては当然の仕事だ。しかし私にしてみれば全てダメと言われているようだった。

 或る時準備の日に他の役員が都合付かずA先生と2人になった。事務局は日当を出すほど裕福でなかったので、夕食の補助という形が伝統だった。2人ならば、ましてA先生とは夕飯はないな、と勝手に思い込み「今日は帰りましょうか」というと「え?もう食事代用意してしまったのですが」といわれた。A先生は真面目なので使う所はキッチリ使わないと済まない性分なのだ。いっそ酒でも飲もうかと駅前の居酒屋に行くとあっさり承諾が出た。私は「A先生、お酒飲んで良いですか」と尋ねると「予算の範囲内でしたら」と言われたのでサッサと酔ってしまおうとビールを頼んだ。A先生はウーロン茶だった。真面目である。ほろ酔い気分となり「A先生はどちらに住んでいるの」と尋ねると東京都と神奈川県の境辺りと言う。私は「昔付き合っていた女の子がそっちの方でさあ」と要らぬことを話し、「浦和から遠くで家に帰ると12時過ぎるんだよね」などと言った(らしい)。

 公募展が始まり無事に終わることができた。その年も収支カツカツだったが打ち上げの費用くらいは残った。役員皆が集まり乾杯した。私の隣にはA先生が黙って座っていた。まだ酔う前だったので、「A先生はどちらにお住まいですか」とサラッと尋ねた。すると東京都と神奈川県の境辺りと答えた。前の会話は酔っぱらって覚えていない私はシラを切り「へえ、そちらの方は縁がないですね。行った事ないな」と話すとA先生が「うそ、昔女がいたくせに」とボソッとつぶやいた。座が一気にヒートアップし若手の役員から「ボス、そんな方面に付き合ってた人いたんスか」とか「奥様は知っているんですか」等と集中砲火を浴びた。

 気を許した自身がバカだったと思いつつ、A先生とは今でも会えば話すくらいに親交はある。多分私の失敗を笑い飛ばす座にしてくれたからだと思う。

 人生で出来れば避けたいのは離婚である。本人は勿論、周囲も話題にしづらい。しかし悪友△は違った。〇君が離婚した時、内緒で△にだけ打ち明けた。私ならば自身の胸に閉まっておく。が、酒席ということもあり△が「皆さーんご報告です。〇が離婚しましたー!」と明るく叫んだ。一同どよめいた。すると重鎮の先生が「なんやお前、他でもないお前の結婚式やから、研究会を日程ずらして出席したのに!ご祝儀返さんかい!」と大声で言い爆笑に包まれた。こんなあっけらかんとしていて良いのか、と思いつつ私も笑った。

 私が仕事で失敗する度に誰かが笑い飛ばしてくれた。あまり思いつめずに「くだらない」と笑い飛ばせる度量をいつでも持っていたい。

 

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