第十九回:あげばな
いけばなのお稽古は、準備といけることと片付けで一くくりです。どれか一つでもおろそかにしてもいけないと祖父や父は口をすっぱくしていいました。
それは展覧会でも同じことです。
一流の先生ほど、大きな展覧会で準備やいけ込み以上に後片づけに気を配ります。決して手を抜きません。
華道というものは「無」の場所に「美」を作り出し、また「無」に戻すのです。それは華道以外の多くの伝統芸能に当てはまります。柔道剣道の道場でも能の舞台でも、準備があり試合や演目をみせて片付けます。元通りの「無」にするのです。
花見や夏祭りなどの行事も同じ精神が流れています。何もなくなるから区切りがつくし、何もなくなるからまた始められます。「無」というのは終わりとともに始まりでもあります。「無」と「無」のあいだの楽しかったことは、私たちの中に残ります。
だからお稽古でもっとも大事なのは後片づけです。
展覧会では「あげばな」「撤花」といいます。この「あげばな」は手際のよさとスピードが大事です。いけばなは取り壊した後、次の日程の人のいけ込みがあるので普通の取り壊しとは比べ物にならないスピードで終わります。大体20分くらいでガランとした空間になってしまいます。私たちには見慣れた光景ですが、初めて見た人は「もったいない」と思うはずです。先ほどまであんな綺麗に飾られていた作品があっという間にバラバラにされてしまうのですから。
いけ花は作品づくりの時に「どう取り壊すか」という要素もすでに取り入れて作られています。前述した一流の先生の作品はしっかり作られているのに作者が「急所」になっている枝を外すと、折りたたむように音もなく取り壊されるのです。その素晴らしさは声にならないくらいです。
取り壊す時に関係者しかいないのが本当に残念だと感じます。後片付けですから人々が右往左往してせわしないわけですが、そんな中で静かにサッと始末して、しかも細かいゴミを一つも残していかない先生をみると、拍手したくなります。
私にとってはすばらしい作品とは、いけあがった姿と同じくらい取り壊すときの姿も美しい作品です。取り壊す際に本物の技術の差がでるように感じます。実は今回のいけばな展のあげばなに春休み中の息子を手伝いにいかせました。展覧会を知るにはいけ込みよりあげ花が良いと思ったのです。
ほとんど私一人でやるつもりでいたのですが、中一の息子でも、役に立つことがわかりました。重い器を一生懸命かついでいる姿に少しだけ頼もしく思い、その分自分も若くないのかなと感じたりしました。
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