第二百三回:
託す思い 託された責任
真名子さんは私が子供の頃から20歳の頃に桂古流で活躍した幹部だ。疎開していたお花の先生を探しに友人と連れ立って浦和までやって来た。しかしいくら探しても見つからないので駅前の花屋で聞いてみようとなり、桂古流出入りの生花店を訪ねた。店主が「浦和では何と言っても新藤先生ですよ」と調子のよい事を言って、桂古流の家元本部に案内された。そのまま内弟子となり助師となり、あれよあれよという間に桂古流の大幹部となるのだから、人生どこでどうなるか分からない。私が知っている真名子さんは既に多くの門弟を育て上げ、東京支部の中核を担っていた。
『華盛の生花』は桂古流会館が竣工した記念も兼ねて上梓された。巻末に真新しい会館が載っている。私が中学生の時だから、40年以上も前の話だ。APEXタワー南館に移転してきて既に20年を過ぎているので、ご存じない方も増えてきたその前桂古流会館を建てる時、債券を発行した。桂古流の幹部が中心となって購入してくれたと記憶している。多くの方の厚意で会館建設事業を手堅く遂行できた。経済学部出身の先代華慶ならではの発想だった。
真名子さんは償還日を随分過ぎても利子も元本も受け取りに来なかった。華慶が払い戻ししたい旨を伝えると真名子さんは笑って「先生、私は返してもらう気などございません。はじめから桂古流の未来に投資させて頂くつもりでした。私も家元先生(初代華盛)だけならばここまで協力できません。若先生そして浩司さんがいらっしゃるので安心して桂古流に寄付できるのです」と応えたという。華慶は美談としてこのエピソードをしばしば披露した。桂古流のお弟子さんは凄いでしょうと自慢したかったのだろう。10代半ばの私も真名子さんにとっては「寄付の対象」として期待されていたのかと少なからず責任を覚えた。
そう言った幹部の思いは皆口に出さなくてもお持ちなのだと、改めて感じたのが今回の白龍の結婚式だった。ご出席いただいた皆様お一人お一人の思いがひしひしと伝わってくる。白龍の結婚を本当に待ち望んでいた御社中がこんなに多くいて下さる喜びとこれからの期待に応える責任、その双方を私と同様に次の世代も感じることになるのだろう。帝国ホテルで本当に幸せそうにお祝いしてくださる皆様とお越しになれなかった皆様、多くの皆様が「桂古流はずっと続いてくれる」と喜んで下さった。
家元は「校長であり、経営者であり、作家でもある」とお話した人がいた。私はプラス「語り部」であるべきだと思う。桂古流が安定して運営できるよう、家元でいる間、必死で働くのは当然だが、研究会の度に昔話をはさみ、語り部たらんとするのは最近の私の特徴かもしれない。歴代家元や当時の幹部の先生、助師さんの話、それもとっておきのエピソードを紹介する。私が紹介する事で過去ではなく、未だ心の中で息づいていると確かめたいと願う。野球で往年のスターが球場に招待される〇〇デーや卒業生が母校を訪ねるホームカミングデーは人びとの心に温かな灯を蘇らせる。桂古流の伝統の中で歴代家元や多くの幹部の熱い思いは、光輝いた存在や眩い出来事をいつまで忘れない責任に結び付く。思いを繋ぐのは、託す側と託された側、お互いに対する限りない優しさだ。
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