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第二十二回:世襲ということ

 最近、政党のマニフェストでにわかに脚光を浴びてしまっている「世襲」。問題なのだそうだ。へえ、問題なんだと言うと周りの人はあわてて「あっ新藤さんはいいんですよ。世襲でないとこまりますから」といわれる。へえ、いいんだと思う。

 私はなぜ世襲したのだろう、いろいろ考えるが「セーラー服と機関銃」・・・あのせいだ。あの映画で薬師丸ひろ子にヤクザ役の渡瀬恒彦が組長をたのむシーンがあったはずだ。私に流派の将来をたのむ人々が渡瀬恒彦とかさなり「継ごう」と決心した気がする。よくよく考えるとはずかしいきっかけかもしれない。

 世襲は分野によっては良いとされ、片や厳しい視線にさらされる。私の中では腑におちない。どうして問題なのか。世襲する人間のほうが政治的、社会的に劣るのか。世襲議員がいると地域の人は別の人に票を入れづらいのか。世襲以外の人が立候補しづらいのか。選挙での選択肢がへるのか。その辺がはっきりしないまま突き進んでいるようだ。

 議員は「政治屋」で良いではないかと私はおもっている。聖人君子なんかじゃない。私たちと同じ一般人だ。立候補するくらいだから向上心もあり欲も強いはずだ。それだって構わない。政治を良くしてくれていればそれでいいとおもう。それ以上の期待をしても無駄だし、政治家も困るはずだ。世襲でも世襲でなくても私にとっては問題でない。税金が安くて行政サービスが充実していればそれでいい。腕の良い板前がギャンブルに狂っていようが、名医が浮気していようが、一流のアスリートに浪費癖があろうが関係ないのと同じである。美味しい料理を作り、病を治し、素晴らしいプレイをやればいいのだ(だから何やってもいいというわけじゃありませんから)。

 世襲制限をやるってんならやってもいいけどその場の勢いだけで動くと後の世代に禍根をのこすのではないか。私たちに選挙権がないなら困るが、選挙という厳しい試験を数年に一度パスしたものが政治家になる。いやなら票を入れなきゃいいし、よくやっていれば票を入れればいい。 世襲していない人々が構築した論理の前では吹き飛んでしまうだろうけど、世襲している私の「感情論」はここから動かない。

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