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第三十回: マスカラスの握手

 家元というのは「いけばな作家」であり「流の指導者」であり「経営者」でなくてはならない。 「学院長あて」とDMがくると校長として書類を書く。「財団法人理事長あて」ならば経営者として処理する。展覧会が近づくと「作家」の部分が前面に出てくる。では家元というのはその3つの顔か、と尋ねられると少し困る。前々から私はもう一つの顔があると考えている。それは 「エンターティナー」であるということだ。家元はデモンストレーションを頼まれることが多い。また外国人の体験授業や師範免許の授与式など人前で話すことを求められる機会がある。そんな時むくむくと私の中で持ち上がる気持ちが「この場をいかに楽しくしようか」という点だ。小さい声でつまらない話を延々きかされていると、結婚式のスピーチのように感じてしまう。人は口には出さなくても目の輝きで、どれくらい楽しんでいるか伝えてくる。家元より進学塾の講師のほうが話し上手なんて言わせてたまるものかという気構えは持っている。

 カラカウア通りを夕食後の腹ごなしに歩いていると歩道にさまざまなパフォーマーが立っている。演奏するもの、絵を書くもの、パントマイムをするもの。彼らに共通するのは「目」が相手をとらえていることだ。「この人たちをどう楽しませようか」というサービス精神がしっかりある。路上パフォーマーの芸はひどいが、そのサービス精神は私の中にないものの一つだ。レストランのウェイターでもテーブルについて1分〜2分で客をなごませ、信頼させ、楽しませる。私など足元にもおよばない。 楽しませる心はあまり度が過ぎると鼻につくが、ないのも困る。

 このページを読んでくださっている皆様は女性が多いし、いまプロレスはブームでないので しらないと思うけれど、かつてミル・マスカラスという有名なレスラーがいた。メキシコ人で 非常にハンサムだけれど、仮面をつけていて素顔を見せないというミステリアスなレスラーだった。彼はとても紳士的で女性からも大変人気があった。小学生のころプロレスの興行が南浦和の野外会場であった。ほとんどの選手は「なんでこんな場末の会場で・・・」という雰囲気が見てとれた。私は子供心に申し訳ない気持ちになってしまった。普段テレビに出ているレスラーがこんなみじめな屋外でやるのはさぞ辛いだろうと同情した。しかしミル・マスカラスは違った。ファンの出す手を一人一人ギュッと握りしめ、マスク越しにしっかり目を見つめ返してきた。私の手もしっかり握られ、目線を大きな瞳でとらえた。言葉はなかったが「君と会えてうれしいよ」という想いは電気のように私に伝わった。一瞬のことでも、見に行った私たちはたちまちファンになってしまった。「マスカラスはかっこつけだと思ったけれど良いヤツだ」とそれまでの評判とひっくり返った。他のレスラーと握手したか良く覚えていないがマスカラスの握手と瞳は30年経った今もしっかり私の中で息づいている。いまメジャーリーグで活躍している日本人選手にも見習わせたい。さて、振り返って今の自分。私の花やデモンストレーションは人々を魅了しているか。どれだけ多くの瞳を輝かしているのか。不安の中で不意に思い出した握手の記憶は、タンタラスの丘で眺めたポーラスターのように、小さくけれど確かな光で私の道しるべとなってくれる。





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