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第三十四回: 人は人生をどうデザインするか

うーん、今回のテーマはむずかしい。むずかしいが、とてもやりがいのあるテーマかもしれない。人が人生をデザインできるのは人生が自分のものになってからだ。テレビドラマで思春期の少年が「ほっといてくれ、おれの人生じゃないか」という。しかし実際に人生が自分のものになる頃には、はずかしくてそんなセリフ言えなくなる。


ひとそれぞれに人生が自分のものになったと感じる時が来る。私は今年、それがきた。「人生が自分の判断でコントロールできる」喜びと重さを味わっている。これって早いのだろうか。遅いのだろうか。やはり遅いのかもしれない。就職時はバブルの最終期だったので、第一希望は落ちたものの数社から内定をとりつけ、人生最大の関所を挫折も知らないままくぐりぬけた。そのツケも払わずに流派に入りのほほんと生活してきた。平成不況の中、運の良さだけで今の生活を手に入れてきたような気がする。


父華慶がぶつかった苦労を何一つ知らないまま、私は四十を過ぎてしまった。父の人生は私の逆で「苦労」というテーマでデザインされた七十余年だったと思う。大学受験では浪人をして、就職ではほぼ決まっていた生命保険会社をコネのためはじき飛ばされ、貿易会社に就職し沖縄からもどって係長という時に華道の世界にはいり、学院事務と家元本部の組織作りと技術面の整備に翻弄され、生まれてきたのが私のようなちゃらんぽらんでは「苦労」か「挫折」以外にテーマのつけようがない。父ほどではないが似たような人生を歩んでいるのは弟である。親子ってそんなところまで遺伝してしまうのだろうか。


今回は人生のデザインをするにあたり「難問に当たった時にどうするか」ということと「どういう社会生活を送るか」の二点にしぼって考えてみたい。


まずは「難問に当たった時どうするか」について
私は何もできないので、せめて逃げるのはやめようと思っている。その結果どうなるか分からない。あっけなく倒されてしまうかもしれない。が踏みとどまるようにしている。具体的には「財団の制度改革」や「エイペックスタワーを含む浦和駅前再開発」などから目をそむけないことだけは心がけている。古典花も何ができるわけでないけれど、逃げずに見なければ活けられないし、よい形に仕上げる方法も思い浮かばない。書類もむかしは何も見ずに捨てていたが、最近は逃げずに見るようにしている。おかげで大事な通知か、メモ用紙にしてよいかくらいの区別はつく。万事、逃げなければ落第するようなデザインにはならない、そう信じている。


つづいて「どういう社会生活をおくるか」について
祖父のようなカリスマがあるわけでなく、父のような苦労に耐えられる根性などない軟弱な私は「人の和」を大事にしている。祖父が自身の魅力で人を集める「東京」や「京都」のような始発駅的な存在なら、私は「新宿」や「池袋」といった乗換駅のような存在だ。町会や学校関係など自分の生活にむりのない範囲でたずさわるようにしている。祖父や父に比べてお付き合いが広いといわれるのは、自信のない裏返しでもある。


計画的に人の和にくわわっているのでなく、単純に人として人と話しているのが好きなのだ。家元というのは、とかく人としての多面性を失う危険がある立場だ。家元としてお弟子さんに接する、流の代表者として他流の先生と話しあう。それだけでなく、町会の一員として活動に参加する、自分が生徒になって習い事にうちこむ、そして家族の団欒。情報があつまってくるのは結果でしかない。色々な人と話し、笑う。人生のデザインを自分一人でなく共同作業でおこなう。思いもよらぬデザインのヒントは冗談話の中にある。


私はどう終わるのか、ということをよく考えている。人との出会いがあるということは別れもあるわけで、それがいつ来るかはわからない。自分の人生にもいつピリオドが打たれるかわからない。それを悩んでも仕方のないことだ。司馬遼太郎にいわせれば「天のみがしっていることなので、むしろどういう姿勢でおわるのか、最後まで前向きだったかということが大事なのだ」となる。私もそう思う。人生のデザインはその長さや功績や客観的事実によって判断されるものでなく、自分自身がつねに前向きにいたかどうか、その一点にかかっている。チャンスがいつ来るかわからない、ただしいつでも立ち上がれるようにウォーミングアップはすませておく。そして機会がきたら一気にことを進める。攻めの気持ちはいつまでももち続けていたい。魅力的なデザインは攻めと笑いにあると思う。


最後に逆もまた真なりという気持ちをわすれないこと。これだけえらそうに書いていても私は平気で反故にする。デザインは法律ではないから、場合によっては臨機応変に、わるくいえば節操なく変節する勇気も必要だ。人がここちよくなるためにデザインは存在するので、ここちよくない部分はドシドシやぶる。私は家族から「この前と言っていることが違う」と責められると「えー、その件につきましては早急に関係閣僚と協議を開き、対策委員会を設けたいと思います」と言って逃げる。最初と言っていることが違ってしまった。 人生のデザインはやはりむずかしい。


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