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第三十五回: 祭りの頭(カシラ)になぜ酒は必要か

 私は日本酒が苦手である。日本酒が入ると記憶がなくなる。妻からもらったバーバリーの傘も日本酒を飲んだ日にどこかへ忘れた。二日酔いも夕方ぐらいまで続く。だからあまり晩酌はしない。週に2〜3缶、ビールを飲むくらいである。最近の20代にはアルコールをまったく飲まない人も珍しくないと聞く。昔に比べるとストレス解消の方法が他にあるのだろう。


 普段は酒を口にしない私だが、祭りの季節だけは飲む。祭りの会議の後は酒席が付き物である。カラオケをしたり、居酒屋で議論したり。町会長に「女の子のいる店に行こう」と誘われ、ふるびたスナックから母親くらいの「女の子」が出てきて驚いたり。そんな中からポツリポツリと先輩から後輩へ祭りのエッセンスが伝えられる。人数が少なくて神輿が上がらなかった話。半纏の柄が気に入らなくて役員だけ作り直させた話。ミコシは和をもって背負うから「わっしょい」という話。カシラは町会の代表だから堂々していることという話。


 新人から数年たち町会の顔役になると他町会との繋がりもうまれる。内部と外部の評判を得てカシラに推薦される。まるで熊谷達也の「邂逅の森」のようである。私の町会はカシラが毎年変わるので伝える行為が生命線ともいえる。


 近頃その風習が変わった。祭りの後の酒席にカシラのいないことが多いのである。会議室でコピー用紙に印刷された説明書のみで終わってしまう。大変手軽でよい。時間の無駄もはぶける。文書になっているので頭に入りやすく忘れることもない。


 しかしこれではお祭りは回らない。コピー用紙では言葉のひとつひとつに力がない。祭りはカシラの言葉で動く。カシラの言葉には人を瞬時に動かす力がなくてはならない。ミコシの最中はこぜりあいが、あっという間に大喧嘩になってしまう。


 カシラが祭りをどこまで知っているかで言葉の力が違ってくる。そのためにもカシラは祭りを知らなくてはならない。カシラ経験者は酒を飲みながらカシラに祭りの話を伝えていく。文字にできない情景を語るには酒の力を借りるしかない。酒を通して語った言葉は人を酔わせつづける。その言葉は酒席で語りつがれ次世代も酔わせる。


 カシラは酒の中にただよった言葉を消化する。「儀礼」ともいうべき時間を過ごした者が祭りを知る。そして推薦された時はただの男がカシラになる。


 今冷静に考えれば体の弱いカシラもいたし、家が盗難にあったカシラもいた。酒を飲みたくない、夜に家を空けたくない人も大勢いたと思う。


 けれどカシラになるためには酒の中の言葉を聞かなくてはならない。7月には町会の主だった人がすべてカシラのために時間を作る。ミコシはカシラの思い通りにうごかしていい。カシラ以外の男は歯車だ。捨石だ。カシラが喧嘩をとめろと言ったら、飛び込んでとめる。担ぎ手がケガしないよう建物とミコシの間に入れと言われればクッションになる。


 カシラの力は捨石の数だ。いざというときは平気で捨石を使う代わり、祭りの前後は必要以上に気をつかう。祭りの最中は誰もがカシラには敬語だ。年下年上は関係ない。カシラ経験者も今年のカシラには敬語だ。逆にカシラはすべて命令でいい。年上も叱り飛ばしてかまわない。


 だから前後の酒席がものをいう。酒はただの酒でなく繋がりを濃くする。こんな話を今年のカシラに酒を飲みながら話した。午前0時を過ぎ、ふと彼をみるとカシラの貌になっていた。


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