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第四十五回: 天<地<人

 2011年3月の大学卒業後の就職率が80パーセントを切った。御本人も御家族も気の毒なことだと思う。「働きたいのに働く場所がない」という話をはじめて聞いた時、実感がわかなかった。しかしそれから数年がたち、大卒では無理なので大学を卒業しながら高卒の資格で働いたり、大卒では就職が難しそうなので大学院に「しかたなく」進む優秀な学生を身近で数多く見ると、ただ事ではない気がする。私の大学時代より優れた人達でも職に就けない姿をみると本当に心が痛む。彼らの前で「忙しくて疲れる」などと言ったら罰が当たる。


 孟子のことばで「天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず」というものがある。 天の時は本当に気まぐれだ。バブル景気の最後90年3月卒の私は「学生様」扱いだった。あの反動が今につながったのだとしたら、私のような当時の学生も含め、就職人事採用システムの責任者、関係者が全員加害者だ。バブルからその後の日本の不況は何に似ているだろうか。私が生まれる10年もまえに終息したことだからよくわからないが、ニシン漁などはそれにあたるのかもしれない。大正から戦後まで活況を呈したニシン漁は昭和30年前半には途絶えてしまう。ニシン御殿やソーラン節などを残し人々に「どこにいったのだろう」という疑問を持たせたまま消えたニシン。バブルも「どこにいったのだろう」「きっともう一度きてくれるだろう」という甘い余韻を残して消えた。まさしくなかにし礼の石狩挽歌だ。天の時は待つしかない。自分の代に天の時(ニシンだったりバブルだったりとにかく好機)がこなければ力を温存して次代に回すしかない。晴れている日に雨を降らせようとしても無理なように、ねばり強く、しかも前向きに待たねばならない。

 地の利も大事だと思う。実は私は今の建物に残るのは反対だった。何で自分の土地をとられてマンションのように権利だけになってしまうのかと喰ってかかった。父は動じず「いや、ここに残る」と言ったきりだった。今になって思えば父は先見の明を持っていた。私の生活は歴代家元のきずいてくれた地の利にのうのうと座っているにすぎない。三代目が浦和に居をかまえお弟子さんが大勢ふやしてくれ、祖父が財団法人の学院として大規模にし、父がこのタワーにしてくれた。留まる選択で成功した父と、佐渡島から浦和に来て成功した三代目。私の時代の選択はどちらが正しいのか。地の利をしっかり意識しながら行動してゆきたい。

 人の和これは人気といっていい。「自分は今何を求められているのか」を常に理解し行動する。文字にすれば簡単だが、これほど難しいことはない。特に上の立場になればなるほど忘れてしまう。人は努力したから今の地位にのぼったので、今の地位にいるから偉いなどということはない。それを忘れると人気がなくなる。人がなにか事を起こす時は人気がないとできない。総理大臣を見ても人気のない総理は、結局何もできずに終っていく。百貨店では一年目の家具売り場では全然人気がなかった。男子社員の人数と女子社員の人数の比が1:8の世界では同じ能力の人でも女子社員から人気があれば仕事の進み具合が全然ちがう。当然私は遅かった。手伝ってくれる人がいないからだ。現在とにかく人前で話せ、人気がでるようにして下さったのは、当時係長で今は宣伝部長にのし上がった早川さんのおかげだ。声が大きいこと、オタオタあわてないこと、人にやさしいこと、仕事の忙しさにかまけないこと、いつも楽しいことにアンテナを張っていること、みんな早川さんから学んだ。天地人で一番大事な人の和。その人の和について大事なノウハウを身に付けさせて頂いたおかげで華道界のすみに加えてもらえ、仲間としてお役を頂戴できるようになった。

 こんな文章は就職難の方たちには役に立たないかもしれない。でも年だけは取っている私からなにかエールを送りたくて。

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